ほん‐まる【本丸】
本丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/19 10:09 UTC 版)
本丸(ほんまる)とは、日本の城の中核となる曲輪(くるわ)の名称である。一の曲輪・本曲輪・一の丸(『日葡辞書』)とも称される。中世城郭では、本城、実城(みじょう)、詰丸などと呼ばれ、城によって呼び名が異なる。日本の中世考古学においては主郭(しゅかく)と呼称される。
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- 1 本丸とは
- 2 本丸の概要
本丸(ほんまる)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 14:25 UTC 版)
城の中枢部であり、本丸御殿のような居住域兼政務域を持ち、戦時には最終防衛線となる。本城、一の曲輪などとも呼ばれる。詳しくは本丸の項目を参照のこと。
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本丸(天守台)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 09:47 UTC 版)
「金山城 (美濃国)」の記事における「本丸(天守台)」の解説
古城山の山頂部に位置し、兼山城の中枢となっていた。周囲は土塀に囲まれ、北側に天守を設け、隣接して南東側に小天守、さらに小天守の南西側に袖櫓が隣接していた。そして、中央部に本丸御殿、南西側に西南隅櫓を設けていた。天守と本丸御殿の間に建物の礎石が見つかっているが、詳細は不明である。現在は鳥竜神社となり、本丸の北西側には石碑が建てられている。 天守 本丸の北隅に存在した2重2階層塔型の櫓。天守と小天守の複合式で、南東側で小天守と隣接していた。安土城の天守とほぼ同時期に造られたとみられている。 なお、かつては金山城の天守が犬山城に移築されたとの説があったが、そのような痕跡はないことが近年の調査でわかった。 天守跡 天守台の石垣 小天守 本丸の東隅に存在した天守の附櫓。北側で天守と、西側で柚櫓と隣接していた。小天守の床下に深さ約1.9メートルの穴蔵を有していた。小天守の東側の袖櫓の石垣に沿って穴蔵の出口の石段(3段)を設け、さらに、西側の穴蔵の仕切石垣に沿って穴蔵出口を設けている。この穴蔵の南側に東西2か所に出口を設けたことは全く他に類例のない独特な構造であって、未だに2か所の出口を設けた理由は解明されていない。周囲の石垣と礎石が現存している。 小天守跡 穴蔵西出口跡 穴蔵東出口跡 袖櫓(そでやぐら) 本丸の南側に存在した建物。小天守と東側で隣接して、建物の北西側に出入り口が設けられていた。現在は礎石が残るのみである。 本丸御殿 本丸の中央部に存在した建物で城主の居館として使用された。本丸御殿跡からは茶碗などの食器が出土している。規模は東西約11メートル、南北約12.7メートルで面積約138.6平方メートル。2棟の建物があり、南棟の南側には廊下が存在した。礎石の一部が現存する。1953年(昭和28年)に鳥竜神社再建の際に整地のために礎石を石材として転用して一部の原型を崩されてしまい、詳しい構図はよく分かっていない。 西南隅櫓(坤櫓) 本丸の南西隅に存在した二層の隅櫓。規模は南北約9メートル、東西約8メートル。6個の礎石が現存するのみである。隅櫓跡から古瓦片などが出土している。 西南隅櫓の石垣 西南隅櫓跡 仕切門 本丸の中央部に存在した門。礎石だけが現存している。
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