ほり【堀/×濠/×壕】
ほり【堀】
堀
堀
堀
堀
堀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/08 05:27 UTC 版)
堀(ほり)は、敵や動物の侵入を防ぐため、古代から近世にわたって、城、寺、豪族の住居、集落、古墳などの周囲に掘られた溝のことである。また人や物を運ぶための運河として掘られたものもある。堀辰至。
- ^ 三浦正幸『城のつくり方図典』小学館、2005年3月。ISBN 4-09-626091-6。
- ^ 西ケ谷恭弘 編著、阿部和彦、大橋健一、笹崎明 著『城郭の見方・調べ方ハンドブック』東京堂出版、2008年6月。ISBN 978-4-490-20636-4。
- ^ a b 小倉城(北九州市)の城内展示「戦での攻守」より
- ^ a b 三島正之「東国における多重防御遺構の展開」『第33回全国城郭研究者セミナー(2016年8月開催)レジュメ』、189-190頁。(※『中世城郭研究』第31号、2017年、297-298頁。に要旨掲載)
- ^ 「シンポジウム「障子堀」の新展開 概要」『中世城郭研究』第30号、2016年8月、269-280頁。(※第32回全国城郭研究者セミナー(2015年8月開催)のパネルディスカッションを活字化したもの)
- ^ “建設コンサルタンツ協会誌VOL.237 October 2007 | 一般社団法人 建設コンサルタンツ協会”. 2020年9月8日閲覧。
堀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 09:50 UTC 版)
総堀のほか、郭内への入口3ヶ所の両側に幅4メートルの空堀が造られた。総堀の幅は最も広い所で約30メートル、深さは約4ないし5メートル、外周は約1.8キロメートル。築造当時、五稜郭の裏手約1キロメートル離れた亀田川に取水口を設け、地中に埋めた箱樋を通して五稜郭の堀と郭内外の住居の水道用に川の水を引いていた。しかし、第二次世界大戦後、亀田川の護岸工事により五稜郭へ水が流れなくなり、水位が低下して堀の水質が悪化、悪臭を放つようになったため、1974年(昭和49年)からは水道水を堀に流すようになった。
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堀(クリーク)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 03:03 UTC 版)
筑紫平野のうち、佐賀地域(白石地区を除く佐賀平野)や筑後地域(南筑平野)の海抜約5m以下の低地では、かつて堀またはクリーク(英: creek)と呼ばれる水路が発達、平野を網の目のように巡らして独特の水郷景観を形成し、農業をはじめとしてこの地域の生活に密接に関わっていた。 「クリーク」の呼称は戦中(昭和初期)以降に使われるようになった外来語で、従前は専ら「堀」(ほり、または訛って ほい)と呼んだ。現在は両方が用いられる。"creek"は小川や川の支流、入江を指すのが本来の意味だが、灌漑(かんがい)や水運を目的として人手の入った水路や運河を指す場合がある。筑紫平野の例は後者。
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堀(ほり)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/05 14:38 UTC 版)
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堀(ヒルシュグラーベン / ハルスグラーベン)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 16:40 UTC 版)
「ハイデルベルク城」の記事における「堀(ヒルシュグラーベン / ハルスグラーベン)」の解説
堀 (Burggraben) は、ヒルシュグラーベン (Hirschgraben) とも呼ばれる。これはこの堀でかつてシカ (Hirsch) やクマが飼われていたことに由来する名称である。また、ハルスグラーベン (Halsgraben) という名称も用いられるが、これは台地の尾根の先端にある城を尾根本体から分離するための堀を指す一般名詞(「首形堀」とも訳される)である。 堀は、もちろん城の防衛施設の一つである。1962年に、この堀で昔のようにアカシカを飼育するかどうかが検討されたが実現はしなかった。 西壁の麓に9つの窪みが見られる。これはフランス軍の爆破部隊が1693年に作ったもので、西壁を爆破しようとした跡である。この時は、用いられた爆薬が湿気により威力が抑えられたことと、皇帝軍の救援部隊が進軍してきたことから爆破作業部隊は所期の目的を達成せずに業務を放棄した。 さらに攻撃側の障害となる氾濫装置が設けられた。堀の底にある排水溝と呼ばれる小さな流れを堰き止めることで堀に水を満たす装置である。 デュッセルドルフに住んだ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルムはハイデルベルクの居城に満足できず、堀の西側に新しい城を建てて拡張する計画を立てた。
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堀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/16 16:26 UTC 版)
水が張られた人工の堀。城の外周に配置するのが一般的だが、平地であればおよそどこにでも配置することが出来る。軍隊により攻撃を受けた際、城壁の前に堀を配置していると鉄槌兵が城壁を崩したり、はしご兵が梯子をかけたり、掘削兵が城壁や塔の土台を破壊することが不可能になる。設置するには予め設置範囲を指定し、弓兵・槍兵・鉄槌兵・矛兵・技術兵のいずれかを選択して指定範囲をクリックすると、兵士たちが掘削を開始する(この施設のみ、例外的に建設過程がある)。削除や破壊はできないが、同種の兵士を使って同様手順で埋め戻しが可能。
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堀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 21:27 UTC 版)
吉野川から分流する、助任川・福島川・新町川・寺島川(現 JR徳島駅と牟岐線)を外堀とし、さらに内側に堀川・瓢箪堀(現 東出来島町東部)があった。なお、寺島川の大半と瓢箪堀は、堆積や埋め立てにより現存しない。
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堀(ほり)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 09:11 UTC 版)
「ハッピーバースデー 命かがやく瞬間」の記事における「堀(ほり)」の解説
あすかの祖父であり、静代の実父。ボランティアや畑仕事をしながら宇都宮でのんびり暮らしている。かつては高校の国語教師をしていた。自分たちの静代への愛情が足りなかったことが、あすかの苦しみに繋がっていると知り、申し訳ないと思っている。
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堀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 14:50 UTC 版)
山城としての津和野城は、吉見氏時代に数多くの堀切・竪堀・横堀が作られている。特に前述の中荒城の周囲には多数の連続竪堀(放射状竪堀)が存在しており全山に渡って掘られた空堀は88ヶ所に及ぶ。 さらに、城山の周囲を流れていた津和野川が水堀(内堀)の役目を果たす。亀井氏時代となる寛文年間(1661年〜1673年)に約1キロメートルに及ぶ外堀が掘られている。
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堀(ほり)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 23:29 UTC 版)
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堀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 15:16 UTC 版)
上記の通り、明治期に外堀が、戦後昭和30年代までに中堀が埋め立てられ、現在は内堀のみが残る形である。紙屋町・八丁堀周辺の歩道に、外堀があったことを示す石碑が建っている。 1970年代以降、祇園新道、1994年アジア競技大会会場整備、広島高速交通広島新交通1号線、紙屋町シャレオなど周辺の土地開発工事の際に発掘作業が同時に行われており、断片的ではあるが堀の詳細が判明している。 戦後、外堀中堀と埋め立てられたせいで内堀は循環機能を失った"ため池"となり、更に周辺の都市開発の影響により地下水位が低下したことから内堀は枯れ始め、富栄養化も目立つようになる。様々な対策が行われたが、アジア大会開催を機に抜本的な対策が取られることになった。それは、旧太田川(本川)から川水を取水し、内堀まで導水、循環させ、再び本川へ流出する導水路および流水路の建設工事で、建設省(現国土交通省)と広島市による共同事業となった。現在、城址公園西側の広島市中央公園芝生広場内に流れる2本の"堀川"は水路の地表部分である。またこれら導・流水路および内堀は、一級河川旧太田川を本流とする準用河川に指定されている。 紙屋町シャレオにある復元石垣モニュメント。 城南通り下を通る地下道にある内堀と中堀をつないでいた暗渠のモニュメント。 広島市中央庭球場にある中堀跡碑。 1988年の中央公園芝生広場。 北側堀川(川→堀) 南側堀川(堀→川)
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堀
堀
「堀」の例文・使い方・用例・文例
- その町は城壁と堀で囲まれていた
- 堀と城壁で囲まれていて、9つの門があります。
- 床堀
- 私は道路が混んでいたので近所の釣り堀に行った。
- その城で今日残っている部分は堀と石垣だけだ。
- 彼は堀にペンキの上塗りをした。
- 隠れ垣 《溝・堀などの底に沿って作った柵》.
- すばらしい堀り出し物をする.
- 排水用の堀を掘る.
- 柔らかい日差しに皇居のお堀の水もぬるみ, 春の息吹きが感じられる.
- 堀河天皇の治世は 11 世紀が 12 世紀に移る時期であった.
- 白バイに先導されて先頭走者が外堀通りにはいってきた.
- 堀を乗り越える
- 城のまわし堀を埋め立てる
- 堀を掘る
- 堀を埋めたてる
- 根堀り葉堀り聞く
- 根堀り葉堀り聞く人だ
- 城はまわし堀に囲まれている
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