元寇防塁
名称: | 元寇防塁 |
ふりがな: | げんこうぼうるい |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 福岡県 |
市区町村: | 福岡市西区・早良区・中央区・東区 |
管理団体: | 福岡市(昭6・8・4) |
指定年月日: | 1931.03.30(昭和6.03.30) |
指定基準: | 史2,史9 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | 昭和56.03.16 |
解説文: | 文永十一年蒙古襲来ノ後防備ノ爲博多湾沿岸一帶ニ亘リ築カレタル築地ニシテ處ニヨリ規模一樣ナラズ幅約十尺高サ七八尺ニ及ベリ S55-05-031元寇防塁.txt: 今津地区の毘沙門山と柑子岳の間約3.9キロメートルを結ぶように構築された防塁(現存の長さ約2.7キロメートル)の大部分はすでに史跡に指定されているが、今回、この両山間のうち、毘沙門山寄りの脱落箇所長さ約490メートルの防塁とそれに接する海側及び内陸側の若干の部分を追加指定する。 S61-5-57元寇防塁.TXT: 昭和6年、史跡に指定された元寇防塁の指定地は、福岡市内に点在している。昭和56年、今宿地区の防塁に若干の地を追加して保存を図ったが、各地区とも、町名・地番の変更や太平洋戦争前後と思われる管理・監視の不十分等により、史跡地域に多くの不明な点が生じている。このため、現況に即して指定地を再編成し、残存する遺跡の保存の万全を期そうとするものである。 |
元寇防塁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/11 14:44 UTC 版)
元寇防塁(げんこうぼうるい)は、鎌倉時代に北部九州の博多湾沿岸一帯に築かれた石による、蒙古襲来(元寇)に備えて築かれた防塁。弘安の役の際には防塁が築かれたところからは元高麗軍は一切上陸することが出来なかった[1]。1931年(昭和6年)に国の史跡に指定[2][3]。
- ^ 730年前に亡国の危機あり 元寇にどう対処したか(3-3) 産経新聞 2011.1.3
- ^ 川添昭二『蒙古襲来研究史論』242頁
- ^ 「元寇防塁」『国指定文化財等データベース』文化庁。2023年5月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月2日閲覧。
- ^ 施設案内 遺跡元寇防塁 - 西南学院大学
- ^ 九大敷地から元寇防塁跡 薩摩国が築造か - 読売新聞、2016年9月21日
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