ほり‐きょうあん〔‐キヤウアン〕【堀杏庵】
ほりきょうあん 【堀杏庵】
堀杏庵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 05:16 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動![]() | この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。2016年10月) ( |

堀 杏庵(ほり きょうあん、天正13年5月28日(1585年6月25日)- 寛永19年11月20日(1643年1月10日))は、江戸時代初期の医師・儒学者。名は正意。字は隆夫。通称は与十郎。号は杏庵のほか、杏隠・敬庵・蘇巷・茅山山人。
近江国の生れ。祖父は近江国野村城主・堀定澄で、父は医師・堀徳印。
医術を曲直瀬正純に、句読を南禅寺塔頭帰雲院の梅心正悟に、儒学を藤原惺窩に学び、惺門四天王(林羅山・那波活所・松永尺五・堀杏庵)の一人に数えられた。博学で、文章能力が高いと評価された。
安芸国広島藩主浅野幸長・長晟、尾張国名古屋藩主徳川義直に仕え、江戸幕府の『寛永諸家系図伝』の編纂にも関与した。
長男の立庵は広島藩に、次男忘斎と三男道隣は名古屋藩にそれぞれ仕えている。
著書には『堀杏庵文集』『杏陰集』『東行日録』『有馬温湯記』『朝鮮征伐記』がある。
堀杏庵と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 堀杏庵のページへのリンク