小瀬甫庵
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小瀬 甫庵(おぜ ほあん、1564年(永禄7年) - 1640年10月6日(寛永17年8月21日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての儒学者、医師、軍学者。『太閤記』『信長記』の著者として知られる。名は道喜(どうき / みちよし)、通称は又次郎、長太夫[1]。甫庵は号である[1]。甫菴、甫安とも。
- ^ a b c d e f g h i j 田口卯吉 1926, p. 501.
- ^ a b c d e 柳沢昌紀 2010, p. 13.
- ^ "小瀬甫庵". 百科事典マイペディア. コトバンクより2020年7月10日閲覧。
- ^ a b c 柳沢昌紀 2010, p. 14.
- ^ a b 長谷川泰志 1993, p. 120-121.
- ^ 長谷川泰志 1993, p. 114-116.
- ^ 「シリーズ14日上山城と小瀬甫庵」 『広報かがみの 2011年7月号』 p.28
- ^ 美作の国人小瀬氏で勘兵衛政秀の長子。日上山城主(『美作古城記』)。
- ^ 官途名を中務ないし中務正。中務の唐名である中書とも[7][8]、
- ^ 堀部休庵の子。養叔が名もしくは号。養叔父ではない。
- ^ 『諸氏系譜』[要文献特定詳細情報]
- ^ 『鏡野町史 通史編』第四章第二節 森俊弘執筆分ないし大西泰正「小瀬中務と小瀬甫庵」(『岡山地方史研究』130号、 2013年)
- ^ a b 柳沢昌紀 2007, p. 13.
- ^ 長谷川泰志 1993, p. 118.
- ^ 柳沢昌紀 2010, p. 11.
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