信長公記〈自筆本/〉
主名称: | 信長公記〈自筆本/〉 |
指定番号: | 2352 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1978.06.15(昭和53.06.15) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | 第十五冊末元禄十二年季夏近衛家熙跋 |
員数: | 15冊 |
時代区分: | 江戸 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 信長を祀った建勲神社所蔵になる太田牛一自筆の信長公記で、永禄十一年信長の入洛より天正十年本能寺の変に至る十五年を一年一巻の十五巻に分けて記している。この建勲神社本は近衛家熙の跋および本文の体裁によって信長公記系の陽明文庫本の祖本に当たることが判明し、しかもその書写年代が牛一最晩年のものとみられることは、此本が著者の最終稿本であったことを推測させている。 |
信長公記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 05:03 UTC 版)
『信長公記』(しんちょうこうき、のぶながこうき[1])とは、戦国大名・織田信長の一代記。戦国時代から安土桃山時代にかけての史料。『信長記』とも呼ばれる。著者は信長旧臣の太田牛一。原本は江戸時代初期に成立した[2]。全16巻。米沢藩上杉氏旧蔵本である個人蔵10冊本の内題が「しんちやうき」なので「しんちょうき」と読まれていたと考えられている[3][4]。
- ^ "信長公記". 旺文社日本史事典 三訂版, 百科事典マイペディア, ブリタニカ国際大百科事典. コトバンクより2022年10月3日閲覧。
- ^ 池田家文庫本に慶長15年(1610年)の牛一自身による奥書がある。
- ^ 金子 2009, pp. 394–395.
- ^ 森銑三は江戸時代にはその人に敬意を表する意味で人名を音読みする慣習があったと述べ、類例として『義経記(ぎけいき)』を挙げている[要文献特定詳細情報]。
- ^ 榊山 2017, p. 492.
- ^ a b c d 和田 2018, p. 4.
- ^ 染谷光広「古典の辞典」(1987年、河出書房新社)
- ^ 和田 2018, p. 13.
- ^ 和田 2018, p. 165.
- ^ 和田 2018, p. 31-32.
- ^ 和田 2018, p. 166-167.
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