書写年代
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「伊達家旧蔵無年号本古今和歌集」の記事における「書写年代」の解説
伊達本の定家の識語には年記がないため、書写年代は不明。久曾神昇は『明月記』嘉禄三年閏三月十二日の条に見える本がこの伊達本だと推定しているが、片桐洋一はそれを否定し、貞応二年七月本と嘉禄二年四月本の間に書写されたものだという。 久曾神の主張をおおまかに言えば、まず諸本の識語を比較し、嘉禄二年四月本以前が「有職之秘事」で、嘉禎二年七月本以後が「先達之秘説」とある部分が、伊達本では「有職之秘事」となっていることから、その間に書かれたものと推定。また署名が戸部尚書(民部卿の意)なので、民部卿を辞した嘉禄3年10月以前であることは確実。その上で、『明月記』嘉禄三年閏三月十二日の条に見える古今集が当伊達本であるという。 それに対し片桐は、土御門院姫君に奉った嘉禄三年閏三月本が、京極為兼に伝わった伊達本と同じだとは思えず、更にその嘉禄三年閏三月本が延慶両卿訴陳状に見える「定家卿自筆古今者、後鳥羽院中納言局奉納大神宮本」だとするとより同一とは考えにくいと、伊達本嘉禄三年閏三月書写説を否定。 その上で、貞応二年七月本の最善本である為家自筆奥書本と定家自筆の嘉禄二年四月本との本文の比較から、伊達本がその2本の間に書写されたものだと推定した。
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書写年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/01 08:02 UTC 版)
あ行とや行の「え」を書き分けていること、「徒」を「つ」ではなく「と」の仮名に用いていること、他出の和歌は古今集や寛平御時后宮歌合などの歌であることなどから天暦以前のテキストだと思われるが、摸写だとするとテキストから書写年代を推定することはできない。 Aについては、原本説と摸写説がある。前者をとれば、書写年代は道風の時代で問題ないが、道風筆または他筆の可能性もある。また後者をとれば年代推定は難しいが、料紙が古態を留めるため、それほど時代はくだらないとみられる。 Bは模写でありまた同筆のCも臨書であるため、テキストからの時代推定はできない。また紙背を利用しての書写なので、料紙からの時代推定も不可能である。そのため、書写年代は10世紀後半から11世紀と広く、更には鎌倉時代の伏見天皇模写説(小松茂美)まである。 Dは、奈良時代の日本における書写という説もあるが、唐代書写の舶来品という説が有力である。
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