書写年代とは? わかりやすく解説

書写年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/23 03:04 UTC 版)

伊達家旧蔵無年号本古今和歌集」の記事における「書写年代」の解説

伊達本定家識語には年記がないため、書写年代は不明久曾神昇は『明月記嘉禄三年三月十二日の条に見える本がこの伊達本だと推定しているが、片桐洋一はそれを否定し貞応二年七月本と嘉禄二年四月本の間に書写されたものだという。 久曾神の主張おおまかに言えば、まず諸本識語比較し嘉禄二年四月以前が「有職秘事」で、嘉禎二年七月以後が「先達秘説」とある部分が、伊達本では「有職秘事となっていることから、その間書かれたものと推定。また署名戸部尚書民部卿の意)なので、民部卿辞した嘉禄3年10月以前であることは確実。その上で、『明月記嘉禄三年三月十二日の条に見え古今集が当伊達本であるという。 それに対し片桐は、土御門院姫君奉った嘉禄三年三月本が、京極為兼伝わった伊達本同じだとは思えず、更にその嘉禄三年三月本が延慶両卿訴陳状見える「定家自筆古今者、後鳥羽院中納言局奉納大神宮本」だとするとより同一とは考えにくいと、伊達本嘉禄三年三月書写説を否定その上で貞応二年七月本の最善本である為家自筆奥書本と定家自筆嘉禄二年四月本との本文比較から、伊達本その2本の間に書写されたものだと推定した

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書写年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/01 08:02 UTC 版)

秋萩帖」の記事における「書写年代」の解説

あ行や行の「え」を書き分けていること、「徒」を「つ」ではなく「と」の仮名用いていること、他出和歌古今集寛平御時后宮歌合などの歌であることなどから天暦以前テキストだと思われるが、摸写だとするとテキストから書写年代を推定することはできないAについては、原本説と摸写説がある。前者をとれば、書写年代は道風の時代問題ないが、道風筆または他筆可能性もある。また後者をとれば年代推定難しいが、料紙古態留めるため、それほど時代くだらないとみられる。 Bは模写でありまた同筆のCも臨書であるため、テキストからの時代推定できない。また紙背利用して書写なので、料紙からの時代推定不可能である。そのため、書写年代は10世紀後半から11世紀広く更には鎌倉時代伏見天皇模写説小松茂美まである。 Dは、奈良時代日本における書写という説もあるが、唐代書写舶来品という説が有力である。

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