月岡野の戦いとは? わかりやすく解説

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月岡野の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/04 23:34 UTC 版)

月岡野の戦い(つきおかののたたかい)は、天正6年(1578年)10月4日に越中国月岡野(現、富山市上栄周辺)において織田軍の斎藤利治らと上杉家臣の河田長親らが戦い、織田軍が勝利した戦い。


  1. ^ 親衛隊加治田衆筆頭・美濃衆・尾張衆軍団
  2. ^ 前戦である地蔵堂東坂口の合戦
  3. ^ 森田柿園著 越中志徴「月岡野に大なる首塚あり。土人は之(これ)を庚申塚(こうしんづか)、行人塚など呼ぶと云(い)へり」
  4. ^ 堀田裕史「津毛城・桃井直常・黒牧彦など -富山国際大学周辺と歴史と伝説から-About Tsuge Castle, Momonoi Tadatsune, Kuromakihiko and so on ― Some Topics on the History and Legends around Toyama University of International Studies」(『富山国際大学地域学部紀要』第8巻、2008年3月)
  5. ^ 『富加町上巻 史料編』722P「軍記物に斎藤新五が信長・信忠の御供との内容がある。」
  6. ^ 「注進の趣読んだ。去る四日敵の河田豊前や椎名小四郎らが組んで出て来たのを、一戦に及んで切崩し、三千余人を討捕ったとの事、誠にりっぱな働きで比類なき戦功である。感心の至りで、天下の評判である。いよいよこれからも戦功を励むことが大切である。 天正六年十月十一日 斎藤新五殿 信長印」
  7. ^ 「尚久。寒天の分ご苦労の段とお察しする。(中略)尚これから加勢のため毛利河内守につけて森勝蔵・坂井越中守・佐藤左衛門の諸将を派遣する。いずれ重ねてお知らせする。よい注進を待っている。天正六年十月十二日 斎藤新五殿 信忠印」。富加町史編集委員会 1980, p.231-232


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