織田氏との親族同盟とは? わかりやすく解説

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織田氏との親族同盟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 12:16 UTC 版)

姉小路頼綱」の記事における「織田氏との親族同盟」の解説

天正6年1578年10月4日織田氏家臣美濃斎藤氏斎藤利治軍団長とする織田氏の軍が、飛騨国通過して越中国攻め入ったその時美濃斎藤氏親族(頼綱室が斎藤氏)として、越中斎藤氏である斎藤信利信吉と共にこれを支援した飛騨国から茂住峠越えて長棟越え越中入り月岡野の戦いには姉小路氏の軍も参加した。さらに今泉城攻城にも加勢した。 天正7年1579年)に本拠桜洞城から飛騨松倉城移し飛騨統一着手した本拠移転後同年中、長男姉小路信綱謀反疑いをかけ、殺害している。頼綱は信長部将佐々成政越中における上杉征伐協力しつつ、国内の親上杉派の国人衆次々と攻め滅ぼしていった。 天正9年1581年)冬、織田側と手切断交)状態にあるとの報が上杉氏家老直江兼続もたらされているが、これは姉小路氏織田家による虚報・誤報であった飛騨国入口である加治田城領土大名として与えられていた斎藤利治と利堯は信長嫡男織田信忠側近であり、これを通して織田家とは誼を結ぶ関係であり続けた。。 1581年織田家による武田氏征服戦(甲州征伐においては飛騨口から武田領に侵攻した織田家飛騨軍の金森長近援軍として姉小路氏家臣後方部隊参加させている。

※この「織田氏との親族同盟」の解説は、「姉小路頼綱」の解説の一部です。
「織田氏との親族同盟」を含む「姉小路頼綱」の記事については、「姉小路頼綱」の概要を参照ください。

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