織田氏の入封まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 05:11 UTC 版)
「小幡領」は、戦国期に国峰城を拠点とし、西上州に大きな影響を有した国衆小幡氏の支配地となった領域の呼称である。 小田原征伐後に徳川家康が関東に入部すると、小幡領には徳川家康の娘婿・奥平信昌が3万石で入った。信昌は宮崎城(現在の群馬県富岡市宮崎)を居所とした(上野宮崎藩参照)。慶長6年(1601年)3月、前年の関ヶ原の戦いの戦功により、信昌は美濃加納藩10万石に加増移封された。このとき宮崎城は廃城になったとされる。 翌慶長7年(1602年)に、水野忠清が1万石で小幡領に入った。また、甘楽郡東部は慶長15年(1610年)から井伊直孝(白井藩主)の領地となっており、井伊家は福島(現在の甘楽町福島)に陣屋を置いた。水野氏・井伊氏の支配は元和元年(1615年)に終わっており、元和2年(1616年)には永井直勝が小幡領で1万石の加増を受けて入っている。
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