織田桜とは? わかりやすく解説

織田桜

作者沢田ふじ子

収載図書代表作時代小説 36(平成2年度)
出版社光風出版
刊行年月1990.5

収載図書代表作時代小説 36(平成2年度) 〔普及版
出版社光風出版
刊行年月1993.12

収載図書絵師の首―小説江戸女流画人
出版社新潮社
刊行年月1994.2

収載図書雪椿小説江戸女流画人
出版社広済堂出版
刊行年月1999.3
シリーズ名広済堂文庫


織田桜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/28 07:39 UTC 版)

織田瑟瑟」の記事における「織田桜」の解説

瑟瑟が描く絵はほとんどがであったことから地元近江では「織田桜」と称され、今も数多く作品が残る。露香門下瑟瑟の名は類まれな彩色手法より高く評価され瑟瑟の絵を描いていると空飛ぶ実物間違えその絵の止まりに来たとの逸話残されている。 瑟瑟落款画風の変遷はおよそ4期分けられる第一期寛政後半から享和初年までの、結婚から死別経て再婚するまで。款記には織田姓を記さず瑟瑟のみ記し、印には「織田氏女」「瑟瑟」の大印を用いる。画風には、師・露香の影響が残る。第二期享和初年以降から文政4年1821年20代から43歳までで、貞逸が成人する頃までに当たる。落款織田姓をほとんど書き込み織田氏瑟瑟」と記す。印は、第一期の大印は使用せず、「織田氏女」「瑟瑟」小印と「惜花人」印を組み合わせる作風は師と決別しそのもの描写重きを置いていく。絵の上部は幹の上を花が覆い、絵の下方からも若枝伸び花を咲かせるといった二層式構図が典型的に用いられる第三期文政4年から文政12年1829年51歳まで。もっぱら「貞逸母」と記す。印は第一期の大印を再び用い、「家在越渓南岸」の巨大印を併用することも多い。画風は最も特徴的で、地面盛り上がり幹は老木となって、花はみっしり咲き誇る美しくも力強い作品が多い。第四期文政12年から没年まで。落款は「貞逸母」から「織田氏瑟瑟」に戻って自体細く弱くなり、印も第二期のものに戻る。画風優美になり、繊細かつ円熟した作品残っている。

※この「織田桜」の解説は、「織田瑟瑟」の解説の一部です。
「織田桜」を含む「織田瑟瑟」の記事については、「織田瑟瑟」の概要を参照ください。

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