織田氏との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 06:30 UTC 版)
義重が越前守護として同国の二宮である織田社(劔神社)に参拝した折、同社の神官の子息が聡明であったため、その子息を自身の近習として貰いうけたという。後に義重はこの近習に対して新たに守護となった尾張国内に所領を与えた。近習は故地から織田常昌と名乗り、尾張織田氏の祖になったとされる。後代、この織田氏は守護斯波氏を押さえて国内の実権を握り、やがてその一族の中から織田信長を輩出し、ついに斯波氏は尾張を追われて事実上滅亡することになる。
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