いぬやま‐じょう〔‐ジヤウ〕【犬山城】
犬山城
犬山城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/04 13:17 UTC 版)
犬山城(いぬやまじょう)は、尾張国と美濃国の境、木曽川南岸の地「犬山」(愛知県犬山市(旧丹羽郡))にあった日本の城。天守のみが現存し江戸時代までに建造された「現存12天守」の一つである。また天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城・松本城・彦根城・松江城)。城跡は「犬山城跡」として、国の史跡に指定されている[1][2]。日本で最後まで個人が所有していた城(2004年まで個人所有)である。
注釈
出典
- ^ 史跡等の指定等について(文化庁報道発表、2017年11月17日)。
- ^ 平成30年2月13日文部科学省告示第23号。
- ^ 家紋大図鑑. (1971/3/1)
- ^ 「日本美術観光団」朝日新聞社、2004年
- ^ “公益財団法人 犬山城白帝文庫|財団概要”. www.inuyamajohb.org. 2018年10月31日閲覧。
- ^ 平成30年文部科学省告示第23号
- ^ 三田村泰和 (2020年5月5日). “犬山城のしゃちほこ、胴体あった 3年前の落雷で吹き飛ぶ”. 中日新聞社. オリジナルの2020年5月6日時点におけるアーカイブ。 2020年5月6日閲覧。
- ^ 犬山市教育委員会・犬山市史編さん委員会 編『犬山市資料 第一集』犬山市、1981年2月1日、117頁、NDLJP:9570365(要登録)。
- ^ “国宝・犬山城の「しゃちほこ」が破損 落雷か”. NHK NEWS WEB (日本放送協会). (2017年7月12日). オリジナルの2017年7月12日時点におけるアーカイブ。 2017年7月12日閲覧。
- ^ 「しゃちほこ 帰ってきた 犬山城」『読売新聞』朝刊2018年2月27日(社会面)。
- ^ 犬山城の新しゃちほこ、取り付け祝い式典 高さ1.3メートル 重さ62キロ『産経新聞』ニュース(2018年3月17日)2018年3月17日閲覧。
- ^ 昭和10年文部省告示第194号
- ^ 昭和27年文化財保護委員会告示第21号
- ^ 昭和40年文化財保護委員会告示第48号
- ^ 土屋純一 城戸久「尾張犬山城天守建築考」社団法人日本建築学会『建築学会大会論文集』昭和12年(1937年)3月
- ^ 西和夫「犬山城天守の創建年代について」社団法人日本建築学会『日本建築学会論文報告集』第261号 昭和51年(1976年)11月
- ^ “愛知県の国宝・犬山城天守は現存する最も古い天守とわかる”. NHK. 2021年3月29日閲覧。
- ^ a b c “絵図通り、犬山城の外堀 良好な状態、空堀と判明”. 中日新聞 (2021年9月28日). 2021年9月28日閲覧。
- ^ 昭和15年文部省告示第448号
- ^ 『中日新聞』2023年12月31日付朝刊近郊版10頁、「犬山城入場者58万2447人」
- ^ 四万十市観光情報(学習施設)
犬山城
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詳細は「犬山城」を参照 愛知県犬山市 1469年(文明元年)築城 - 1871年(明治4年)廃城 天守建造年:1601年(慶長6年) 大名分類:譜代 石高:3万5000石 築城者:織田広近 主な改修者:織田信康 代表紋章:「丸に酢漿草(まるにかたばみ)」 文化財指定:国宝1棟 その他指定:日本100名城(43番)、美しい日本の歴史的風土100選 複合式望楼型3重4階地下2階の天守で、大入母屋屋根の建築の上に外廻縁側を突出させた小規模な望楼を上げた形状は丸岡城天守と同様である。この天守は最上階に実用的な外廻縁と高欄が付けられ、華頭窓も付けられているが、実際は窓ではなく装飾である。小屋裏となる3階にも唐破風出窓を設けるなどの採光が考慮されている。
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