天守以外の遺構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 15:17 UTC 版)
1873年(明治6年)の廃城後、犬山城の門は撤去され堀は埋められた。 犬山城を構成していた建造物の多くは、廃藩置県に伴う廃城処分が下る前後の時期に払い下げられて破却されたり移築されたりしたが、それらのいくつかは現存している。松ノ丸本丸門は、明治元年(1868年/1869年)、浄蓮寺(一宮市千秋町穂積塚本郷内に所在)に移築され、山門として再利用された。同年、どこの門であったかは不明ながら旧城門と伝わる門が運善寺(一宮市浅井町大日比野に所在)に移築され、山門として再利用された。この門は1891年(明治24年)に発生した濃尾地震で倒壊した後、違った形に改修されてしまっていたが、1993年(平成5年)に行われた修理で当初に近い姿で再改修されている。1876年(明治9年)には、二の丸の矢来門が専修院(丹羽郡扶桑町柏森字乙西屋敷に所在)へ移築されて東門として再利用された。同年、第一黒門が徳林寺(丹羽郡大口町余野に所在)へ移築され、山門として再利用されたが、移築時に袖塀が併設されている。同年、内田御門(犬山城の搦手門)と伝わる城門は瑞泉寺(犬山市犬山瑞泉寺に所在)に移築され、山門として再利用された。元々この門は美濃金山城の大手門であったのを犬山城に移築したものであったとの伝承がある。また、どこの門であったかは不明ながら旧城門と伝わる門が個人宅に移築されている。なお、運善寺山門は一宮市の、専修院東門は扶桑町の、徳林寺山門は大口町の、指定文化財となっている。 外堀があった場所には犬山市福祉会館が建てられたが、2021年3月までに解体され、7月から外堀の発掘調査が行われた。その結果、犬山城の外堀の幅は17.5m、深さ6.5m以上で17世紀の絵図の記載とほぼ一致した。また、2021年の調査で外堀には水を溜めた痕跡がなく空堀で石垣を造らない素掘りだったことも判明した。このほか外堀の埋め立ての土の検証から、埋め立ては廃城時、明治時代後半、大正〜昭和初期、戦後の4回行われていたことが判明した.
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