天守の建造年とは? わかりやすく解説

天守の建造年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 04:59 UTC 版)

松本城」の記事における「天守の建造年」の解説

天守の建造年には、いくつかの説がある。「天正19年1591年)説」、「文禄3年1594年)説」、「慶長2年1597年)説」、「慶長5年6年1600年 - 1601年)説」、「慶長20年1615年)説」である。いずれも、主に大天守の建造年を示したのである天正19年説は、大類伸鳥羽正雄共著日本城郭史』に見られる説で、宮上茂隆1992年平成4年)に発表した論文において石川数正その子康長により建てられ第1期天守の建造年と考え大天ではなく現在の小天守であると主張している。 慶長2年説は、1940年昭和15年)に城戸久論文において述べた説で、当時定説となっていた竣工文禄3年説また慶長5年6年説を否定し文献元に文禄3年着工慶長2年竣工至当であると主張している。 慶長20年説は、大坂の陣1614年 - 1615年前後建造とする宮上茂隆の説と同様で1615年慶長20年)に小笠原秀政によって建造されたとするのである層塔天守分類されているが、1597年慶長2年建造とする場合最初層塔天守とされる丹波亀山城1609年 - 1610年ごろ建造)に10年以上先立つので、建築史観点から望楼型と見なすことがある。その一方で1950年昭和25年)から1955年昭和30年)に行われた解体修理の時、いくつかの改築痕跡が見つかっていることなどから創建当時は、望楼型で最上階には外廻縁高欄があり、各重の屋根には多く破風取り付けた姿であった推定されており、松平氏により付月見櫓増築され1633年寛永10年)に現在のように造りかえられたと考えられている。

※この「天守の建造年」の解説は、「松本城」の解説の一部です。
「天守の建造年」を含む「松本城」の記事については、「松本城」の概要を参照ください。

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