天守の復元とは? わかりやすく解説

天守の復元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 03:30 UTC 版)

高松城 (讃岐国)」の記事における「天守の復元」の解説

天守の復元計画はは1980年代半ばに、高松市市議会意を受け天守閣復元動き外観姿図を含む構想策定し文化庁提出したが、審議対象にすらしてもらえなかった。1996年にも史跡高松城跡保存整備計画としてまとめたが結果は同じで認めらなかった。2003年には香川証券平井二郎会長は、高松市にある出版社文教社の協力得て天守資料作成し地元経済人らに働き掛け、「玉藻城再建の会」(仮称)の設立準備進めた当時平井会長は、資料乏しといって小倉城北九州市)を参考建てられたとされ、同じ津山城岩国城山口県岩国市)の絵図などが参考になるはずとして、復元より再建持論し、「史実にすべて沿った復元』は不可能。ならば、現実即した夢の城に『再建』を」。木造による本格的復元にこだわるべきではないとし「市民気軽に上がれる城でなければエレベーター付けるなどバリアフリーへの対応も必要」と訴えていた。文化庁文化財保護立場史跡での復元基準1967年以降厳しくしており、資料不足を理由外観だけの復元認めない拒否して来た。2003年夏、この地区が国の構造改革特区申請されたことで、それまで資料写真一枚しかない」ことを理由復元拒否をしてきたとみられた文化庁復元対す考え軟化させたため、その後高松市整備検討委員会設置し2010年着工目指し準備進めていたが着工には至っていない。高松城天守に関する資料明治17年1884年)までに撮影され1枚写真のみとされていたが、2005年秋頃、より鮮明な2枚目の高松城天守の古写真1882年撮影)がイギリス・ケンブリッジ大学発見された(上記写真参照)。このことが更なる資料発見可能性復元運動につながることが期待されている。一方天守台石垣老朽化してきたため、その対策として2006年より石垣解体修理工事実施され玉藻廟も解体された。この修理作業将来天守復元視野入れ石垣内部構造確認石垣積み直し工事実施された。 2009年3月生駒家家紋(波引車)を模した瓦が堀底から初出土した。天守使用されていた可能性が高い。これまで松平家のものしか出土しておらず、生駒氏築城した高松城丸亀城引田城の跡で家紋入った瓦が出土するのは初めてである。 内部構造復元向けて資料発見対し高松市3000万円の懸賞金提供することになり、情報求められている。 また、NPO法人高松城復元する市民の会組織され10万人を目標として署名活動が行われている。2008年1月現在8超える署名集まっている。 石垣土台部分発掘調査により、天守礎石痕跡などが発見されており、地下1階穴蔵)の平面判明した土台痕跡から地下1階1階平面判明したが、まだ高松城復元する為の内部資料としては不十分であるとされている。復元する為に現在も存在している月見櫓艮櫓参考にした図面が2案制作された。地下1階から3階までは城内現存する月見櫓艮櫓参考にした2案が、3階から4階までは「諸神の間」と呼ばれる最上階4階)の解釈によって2案が考えられ、計4案の復元となった。それでも階段や、間仕切りなど不明なところもあるので資料収集努めているが資料は見つかっていない。市は現在、文化庁新しく設けた復元基準の「復元整備」として天守の復元を目指すとしている。

※この「天守の復元」の解説は、「高松城 (讃岐国)」の解説の一部です。
「天守の復元」を含む「高松城 (讃岐国)」の記事については、「高松城 (讃岐国)」の概要を参照ください。

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