復元運動とは? わかりやすく解説

復元運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 14:47 UTC 版)

三笠 (戦艦)」の記事における「復元運動」の解説

この惨状見たイギリス人ジョン・S・ルービン英字紙ジャパンタイムズ』に投書大きな反響呼んだ。さらに、前述のように東郷平八郎敬愛しており、「三笠」の惨状憂い米海軍チェスター・ニミッツ元帥著作ニミッツ太平洋戦争史The Great Sea War)』の売上一部を「三笠保存東郷神社再建奉賛会寄付するなどして、国内外人々の間で復元保存運動徐々に盛り上がり見せていった。 日本での当時世論復元保存派と完全撤去派と賛否両論真っ二つ分かれた後者場合軍艦重要文化財指定した前例過去になかったのと、既に荒廃していた「三笠」を仮に復元したとしても指定難しいという理由があった。更に高度経済成長期だったため、約四千トン分の鉄屑として売り払い当時時価として八千万円分)、それを資金記念館を作るべきという意見すらあった。 海上自衛隊としても維持できる予算取れない上に「動かない艦など引き取れぬ」というコメント当時海上幕僚副長だった伊藤邦彦述べている。伊藤帝国海軍出身で、個人的意見保存賛成であった。しかし予算承認され復元工事1959年開始すると、同年6月27日所管大蔵省から防衛庁(現・防衛省)に移管された。工事1961年完了し同年5月27日復元記念式挙行された。 復元にあたり長官室に設置されていたテーブル等をはじめ、アメリカ軍撤去した記録残っているものは、ほぼ全てが完全な形で返還されたが、誰が持ち去った不明なものは(戦後の混乱期致し方ないことがあったとしても)、今日に至るまでほとんど返還されていない1958年昭和33年)にチリ海軍戦艦「アルミランテ・ラトーレ」が除籍され翌年日本において解体されたが、同じイギリス建造された艦であったため、チリ政府より部品寄贈を受けるという幸運があった。

※この「復元運動」の解説は、「三笠 (戦艦)」の解説の一部です。
「復元運動」を含む「三笠 (戦艦)」の記事については、「三笠 (戦艦)」の概要を参照ください。

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