第1段階 0秒から100万分の1秒 「放射線」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 02:29 UTC 版)
「原爆投下・10秒の衝撃」の記事における「第1段階 0秒から100万分の1秒 「放射線」」の解説
まず原爆の炸裂点(高度)を、1993年12月にアメリカ軍が発行した『Guide To U.S. Atomospheric Nuclear Weapon Effects Data』に基づいて、567mに設定した。また、リトルボーイの構造は機密であることから、資料『U.S. Nuclear Weapon The Secret History』に掲載された、設計図に近い図面に基づいて再現した。リトルボーイ内部のウラン235の2つの塊が爆薬の力で衝突し、核分裂の連鎖反応が始まる時点を0秒と定めた。爆弾の炸裂は100万分の1秒後と推定された。この時までに、核分裂時に発生した中性子がリトルボーイの外殻を通過し放出されたと考えられた。中性子はあらゆる物質の原子核に衝突して次の放射線を生み出し、さらに物質からガンマ線を発生させたと考えられた。広島市内各所で採取したリード線や避雷針に使われている銅を調査し、中性子によって銅から変化したニッケル63を測定して、市内に降り注いだ中性子の量を推定した。 広島市の爆心地である旧猿楽町の住民が、原爆によって消滅した町並みの復元に取り組んでいる。疎開や出征で猿楽町を離れていたため災禍を逃れた人々の記憶や証言に基づいた、電柱の位置に至るまで正確に再現した住宅地図が製作された。復元運動を進めていた田邊雅章は、住民が疎開先等に持参したため残った当時の写真を用い、町に聞こえていた音を被せて、かつての猿楽町の光景を再現したCG映像を制作していた。また猿楽町の人々は松屋産業(岩国市)に依頼し、猿楽町にあった広島県産業奨励館(現在の「原爆ドーム」。以下「産業奨励館」と表記)も外観から内部までカラーCG映像で復元してもらっていた。番組スタッフはこれらの情報と映像を用いて、猿楽町を襲った惨禍を再現した。 爆心地から130mの位置(現在は広島平和記念公園敷地内)にあったM建具店の2階建て家屋の模型を、間取りまで正確に製作し、当時この家の1階にいたM氏の親戚一家に中性子がどのような影響を与えたか推定した。降り注いだ中性子の一部は木造家屋を通過し、さらに屋根瓦や壁からガンマ線を発生させる。番組では、一家は中性子線とガンマ線を致死量となる57.7グレイを浴びたと推定した。この時点で、仮に原爆が炸裂せず、熱線や爆風の影響がなかったとしても爆心地付近の住民は助からなかったという。
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