ちょう‐なみ〔チヤウ‐〕【町並(み)】
まち‐なみ【町並(み)/街並(み)】
町並み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 05:12 UTC 版)
菊池酒造 菊池家は代々庄屋で、明治頃になってから酒造を開業した。江戸時代後期の国学者であり歌人でもある近藤萬丈(ばんじょう)が5代当主菊池源七鎧豊の次男として生まれたことでも知られている。 白神紙商店 江戸中期に玉島港東浜に越前屋として開店、その後移住してきた。明治初年にむろ屋に引き継がれ紙問屋・白神商店として営業している。 旧玉島信用組合 1935年に建設された。その後玉島信用組合となり、1954年から1978年まで玉島商工会議所として利用された。 玉島味噌・醤油蔵 仲買町から円通寺に向かう道にある蔵である。この屋敷は、昔は阿賀崎新田村庄屋屋敷であり、阿賀崎村役場でもあったところである。 吉田畳店 仲買町でもっとも古い。 鴨方屋 呉服商として明治に創業した。 井手屋 江戸から明治にかけて栄えた廻船問屋。建物は江戸中期に建てられたもので、店舗・蔵ともに当時の様子が残っている。現在は井上商事(株)として肥料農業飼料を扱っている。 柳湯 風呂屋の前は甕港座のような芝居小屋であったと言われている。
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町並み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 04:39 UTC 版)
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町並み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 22:11 UTC 版)
「アーリントン郡 (バージニア州)」の記事における「町並み」の解説
アーリントンは、優れた都市計画で評価されている。30年以上にわたって、郡政府は、ワシントンメトロの駅やバージニア州道244号線(コロンビア・パイク)を走るバス路線など、交通機関の施設近くに開発を集中させるという政策をとってきた。これらのエリア内では、政府は、商業・居住混在型の、歩行者と公共交通機関を中心とした街作りを推し進めてきた。一方、エリア外では、人口の増加を抑制する政策をとりながら、例外として主要な幹線道路近くに大きなプロジェクトを建設した(州間道路395号線近くのシャーリントンなど)。 ロズリン、コートハウス、クラレンドン、バージニアスクエア、ボールストンには、東西に走るワシントンメトロ(地下鉄)のオレンジ・ラインとシルバーラインが通っている。ロズリン、ペンタゴンシティ、クリスタルシティは、南北に走るブルー・ラインが通っている。
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町並み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 23:36 UTC 版)
保存地区内に残る伝統的建造物は106棟にのぼり、そのほとんどが板張りで作られた外壁を持つ2階建ての家屋である。大通りに面した方向には庭や開口部が無く、屋根には庇が無いため、高い壁だけが見える開放的な町並みは日本には珍しい光景と言える。一部の家屋の屋根は薄く割った板を何枚も重ね、その上に石を置いた石置木羽葺屋根と呼ばれる独自のものである。 家屋の外見は質素であるが、北前船で財を成した船主の往時を偲ばせる豪華な内装仕上げになっている。現在、修復された民家2軒が一般に公開されており、屋敷の内部には漆塗りの大黒柱や、彫刻の施された仏壇、当地小木の伝統工芸品である船箪笥と呼ばれる小判等の貴重品を隠すために使われた「からくり構造」の箪笥などが残されている。「オマエ」と呼ばれる囲炉裏のある居間は2階まで吹き抜けとなっており、梁の組み方などに船大工ならではの技巧が見られる。20以上の土蔵が残されているがいずれも鞘(さや)と呼ばれる板壁で周囲を覆っており、これは塩害から守るためと蔵の存在を隠し盗難を防止しようとした目的と見られる。 この他にも、狭い路地の形状に合わせて作られた通称三角屋と呼ばれる三角形の家屋など、船大工たちが造った建造物が密集する宿根木独自の景観が残されている。集落の周囲には竹垣(風垣)が築かれているほか、周辺には竹林が分布する。 江戸末期に世界地図を制作した蘭医学者の柴田収蔵の生家がある。
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町並み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 17:52 UTC 版)
道中奉行による天保14年(1843年)の調べ で、町並みは9町30間(約1.04 km)。宿内人口1,508人(うち、男679人、女829人)。宿内家数319軒(うち、本陣1軒〈在・宮町一丁目〉、脇本陣は9軒で中山道の宿場としては最多である。問屋場4軒、旅籠25軒。他に、紀州鷹場本陣〈北澤家〉1軒、等あり)。 人口は浦和宿とほぼ同じ規模であったが、宿場ではなく馬継場を起源としていたこともあり、問屋場が多い。また、当時江戸から1日で歩く距離としては大宮宿までが限界だったこともあり、脇本陣が町の規模に合わないほど多いという特徴がある。 宿場は当初、本村(のち、高鼻村、さらに、宮町)、北原村、右衛門八分(のちの堀之内村)、甚之丞新田(のち、寿能村、さらに、大門町)、新宿中町、新宿下町、吉鋪新田の7組で構成され、これらを大宮宿と総称した。後に、宮町・大門町・仲町・下町・吉敷町の5町構成に形を変えながら集約・発展を見せている。
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町並み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/29 08:02 UTC 版)
「ルーヴァン=ラ=ヌーヴ」の記事における「町並み」の解説
ルーヴァン・ラ・ヌーヴの町には5つの地区がある:ビエロー (Biéreau)、ローゼル (Lauzelle)、オカイユ(Hocaille)、ブリュイエール (Bruyères)、バラック(Baraque)である。学園都市であり、ルーヴァン・カトリック大学のキャンパスが町全体に散らばっている。学生の居住する「コット」(fr:Kot) と呼ばれる共同アパートが多数ある。一般の住宅も多い。 ルーヴァン・ラ・ヌーヴ駅を降りると、すぐに「大学広場」(Place de l'Université) に着く。駅の近くには、湧き水公園(Parc de la Source)がある。公園の中には「タンタン」の作者、エルジェ(Hergé)の美術館がある。エルジェ美術館のすぐ近くには大きいショッピングセンターとたくさんの店があり、とても便利である。駅前の「大学広場」から左側に行くと「中央広場」(Grand Place) に出る。中央広場には映画館、劇場、会議場、そしてたくさんのカフェがあり、広場の先には人口湖がある。計画的に作られた町であり、建物のデザインは調和している。美術館や教会もある。 町の北側には「ブロクリー」という大きいスポーツセンターがある。このスポーツセンターではスイミング、テニス、ダンス、スクワット、ヨガなどをすることができる。ルーヴァン・カトリック大学の学生や教職員と一般の市民に開かれている。
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町並み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/13 13:39 UTC 版)
旧市街の周囲は城壁に囲まれ、通りは杉綾模様状(herringbone)になっており風通しを良くしているが激しい強風からは守られている 。コルチュラは島と本土の狭い海峡を守る岬の上に堅く築かれた町である。城壁の外側には18世紀まで建物を建てることが禁止されており、木造の跳ね橋は1863年に替えられただけである。コルチュラのすべての狭い通りは顕著な例外である南東部の城壁沿いに走る通りを除いて階段がある。通りは階段の心配が必要ないことから「考えの通り」と呼ばれている。
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町並み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/19 04:42 UTC 版)
通りは格子戸や荒格子、黒塀のある家屋が目を引く古い町並み。歴史や伝統のある老舗、明治時代の眠っていた町屋を改装したカフェなど古今の文化が混在する。
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町並み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 01:00 UTC 版)
域内にはおよそ370棟の建物が並び、その半分程度にあたる178棟が歴史的建築物とされている。200棟ほどが1階部分を店舗として利用している。幅 8 メートルの迪化街という名のメインストリート(この周辺エリアが本稿であつかう街区の迪化街)に面した建物は、隣家と壁体を共有する形で密集し、裏手の路地は幅 1 メートルほどしかない。建物のプランをみると、間口は 5.0 - 5.5メートルほどであるが、奥行きが50メートルに達するものもあり細長い矩形をなす。 建築様式は一定ではなく、さまざまな様式が混交している。バロック風の商館を起源に持つものや、洋館、昭和に入ってから建てられたモダニズム建築も見られる。古惠菁の分類によれば、古い順に閩南式(みんなんしき)、倣洋楼式、洋楼式、バロック式、近代建築式の5様式に分けられ、林美吟らの分類によれば閩南式、洋楼式、バロック式、近代建築式と4様式に分類している。 いずれもファサードを特徴づけるベランダである亭仔脚(騎楼ともいう)をもつ。これは街路に面した建物の正面に作られた、隣家と連結されたアーケード、商店街の屋根のような公共的な側面をもつ構造物である。アーケードなので1階部分が通行可能になっており、雨や日差しを避けることができる。一方で店舗が飲食用のテーブルを出していたりと占有し、通り抜けしにくい状態となっている風景も見られる。この施設は清朝時代に起源を見る指摘もあるが、日本による台湾統治の時代に法律によって設置が規定された構造体である。当初は幅も高さも地方ごとにまちまちであったが、1900年にアーケードの幅および高さが規定されるようになった。長らく完全に公共物(とはいえ勝手に占有される状態)であったが1999年以降は店舗による買戻しと私有が認められているので、公私の境はなお曖昧である。
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町並み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 08:15 UTC 版)
ニーウポールトの旧市街は、海岸線からおよそ3km内陸にある。海岸付近が新たな観光地となっている。
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「町並み」の例文・使い方・用例・文例
- 人と町並みが混然一体となっている
- 町並みからひときわ高く昔のお城が立っている。
- 古い町並みを保存しようという運動が全国で展開されている.
- 家は町並みに立っている
- 町並みが揃っている
- 大火後、町並みが好くなった
- 店は皆町並みに立って通りに接している
- 家や町並みの裏の方
- 町並みや家並みから外に出たところ
- 町並みや家並みなどのはずれた所に出る
- 重要伝統的建造物群保存地区という,町並み保存の対象地区
- 町並み保存の対象となる建物群
- 建築物を町並みの中で評価し,保全利用を図ること
- これらの町並みは日本人を懐かしい気持ちにさせてくれます。
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