復元計画の端緒
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1965年(昭和40年)3月7日に豊川順彌が死去。翌1966年(昭和41年)4月12日、豊川の残した資料(少数の保存部品、大量の図面、写真、カタログ類、白楊社書類)が遺族から国立科学博物館に寄贈された。このことは、古い車に関心のある一部のモータージャーナリストによって伝えられ、一部で知られることとなる。 1990年(平成2年)、トヨタ博物館が開館1周年を記念して第1回特別展「日本の自動車の前史」を開催。この特別展の準備と調査の過程で、国立科学博物館が保有するオートモ号の資料の存在はトヨタ博物館の知るところとなり、トヨタ博物館が国立科学博物館やオートモ号と関係する端緒となる。 1992年(平成4年)、トヨタ博物館が全国科学博物館協議会(全科協)に加盟。以後、国立科学博物館との情報交換も活発になっていく。 1995年(平成7年)8月、国立科学博物館とトヨタ博物館が共同で、オートモ号資料の調査と整理を開始。翌1996年(平成8年)、1年に及ぶ調査の結果を基に両博物館の間で話し合いが持たれ、産業遺産の保存活動として、オートモ号の復元を目指したいということで、合意に達した。
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