復元計画の始動と発掘とは? わかりやすく解説

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復元計画の始動と発掘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/13 14:43 UTC 版)

燈明堂 (横須賀市)」の記事における「復元計画の始動と発掘」の解説

昭和61年度1986年)度、横須賀市石垣のみ残存していた燈明堂の復元目指し教育委員会内に燈明復元協議会設立した協議会ではまず文献蒐集残存していた石垣について調査行い燈明堂は数回建て替えが行なわれていたことと、石垣については江戸城石垣同様の技法用いて積み上げられていることが明らかになった。 昭和62年度1987年)度には、燈明復元のためのデータ収集目的として、燈明堂とその周辺発掘調査を行うことになった昭和62年1987年6月15日から26日にかけて行なわれ発掘調査によって、海側である東側中心に標高が低い基礎部分には盛土行なった上に叩いて固めるといった整地基礎工事が行なわれた上で石垣構築されたことが明らかとなったまた、燈明北側からは本瓦陶磁器大量に検出されている。これは安政元年1854年)の安政東海地震以前に、燈明堂で用いられていた本瓦燈明堂の備品であった陶磁器類が、東京湾入り口である南側からの津波によって北側建物倒壊したために、集中して本瓦陶磁器類が検出されるようになったものと考えられる検出され陶磁器中には、皿や鉢類の他に灯明皿片、そして火鉢一部と見られるものがあった。火鉢冬季夜間灯台守行なう際に暖をとるために用いられたものと見られている。 燈明堂本体とその周辺発掘後、昭和63年1988年7月6日から13日にかけて、岬の先端部にある燈明堂への遊歩道整備に伴い、かつて高札場があったと伝えられていた燈明西側発掘実施された。この時の発掘では高札場高札立てていたものと見られる岩盤をくり貫いた柱穴2つ検出された。

※この「復元計画の始動と発掘」の解説は、「燈明堂 (横須賀市)」の解説の一部です。
「復元計画の始動と発掘」を含む「燈明堂 (横須賀市)」の記事については、「燈明堂 (横須賀市)」の概要を参照ください。

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