天守復元
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1957年(昭和32年)、松本隆・元町長の提唱により「松前城再建期成会」(総裁・町村金五北海道知事)を結成し、募金活動を行った。5,792万円の寄付金に町費を加えた7,000万円の工事費で復元工事を実施。なお、この復元工事に際し、国の史跡指定範囲内の現状変更申請は行われていなかった。 1959年(昭和34年)7月から天守焼け跡の敷地の整理が行われて同年8月から本格的に再建工事開始。翌1960年(昭和35年)9月に外観工事が完成。その後、第2期工事などが行われて1961年(昭和36年)5月16日に落成した。基本構造は鉄筋コンクリート構造によって、外観は焼失前の姿をできる限り忠実に再現。内部は松前城資料館として利用されることとなった。この復元工事の完成に伴う式典には松前家子孫も来町し、松前の旧城下町で大名行列が行われた。 1970年(昭和45年)の時点で松前町は史跡内民有地の建物建築を規制しておらず、同年、石垣崩落の修理を行うため文化庁が調査を行った際、現状変更申請の無いままに違法建築物が文化財指定時から約30棟増えていることが問題となる。これを受けて町は「史跡福山城保存管理計画」を策定し、1976年(昭和51年)度から、建造物の撤去、城跡遺構の調査・修復を開始した。
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