天守曲輪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:56 UTC 版)
天守周辺は天守曲輪と呼ばれ、本丸から独立した曲輪となっている。東西56m・南北68mのいびつな多角形で、東に大手として天守門、西に搦手として埋門が配されている。周囲を鉢巻石垣と土塀で囲み、土塀には屏風折などの横矢や武者走りが設けられるなど防御性の高い設計で、創建時には籠城戦を想定した場所だったと考えられている。 16世紀末に築かれた天守台が残されているほか、昭和33年に復興天守が建設され、2014年に天守門と付近の土塀が復元された。
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天守曲輪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 09:59 UTC 版)
天守曲輪は菱形にちかい平面をしており、基壇の面積は2,640m2ある。 大天守 小天守 乾櫓 二の門櫓 天守二の門(楠門) - 戦災で焼失した天守曲輪で唯一、木造で復元された。 台所
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