左美濃
天守閣美濃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/15 03:34 UTC 版)
玉が角筋に入るのを避けるため、8六に歩を突き8七の位置に玉を構えるという珍奇な構えだが、右辺からの攻めに対しては玉が遠く、高い勝率を誇った。松浦卓造が、1960年のA級順位戦の加藤博二戦で、はじめて採用した。玉頭が非常に弱いのが欠点。これに対抗する振り飛車側の作戦としては、藤井システムなどが知られる。なお、湯川 (2005) pp.174-175によれば、居飛車側の玉が8七に居るという形自体は1607年(慶長12年)の棋譜ですでにみられている発想(初代大橋宗桂対本因坊算砂戦で宗桂が採用)である。右図のとおりで後手の四間飛車に対し、先手の左型木村美濃・ツノ銀雁木のような構えがその陣であった。
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天守閣美濃(てんしゅかくみの)
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