三段玉の例とは? わかりやすく解説

三段玉の例

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 22:13 UTC 版)

珍玉」の記事における「三段玉の例」の解説

三段目位置することになる玉型自体は、天守閣美濃などもあって必ずしも珍奇ではない。三段玉での場合は、以下のものが知られる花村名古屋戦法 1955年昭和30年)の第4回NHK杯選手権、(先)花村元司八段VS大野源一八段戦先手花村戦型知られる大野 持ち駒 歩 ▲花村 持ち駒 なし図は▲9六歩まで図 名古屋戦法 雲隠れ玉陽動振り飛車#雲隠れ玉」も参照 王飛接近かつ三段玉で、通常銀将桂馬など攻め駒が来る位置に玉が来る非常に珍奇な戦法として知られる山川vs萩原戦では、相掛かり新旧対抗雁型から、後手萩原右玉雁木から図のように玉を囲うが、本局のように桂馬のはねる場所へ玉を囲う、7三金型は皆無といってよく、一手玉の姿くらますということ雲隠れ玉名づけ名づけ親である加藤治郎は、この戦型忍者流の囲い呼んでいる。 形成判断として、創案者の萩原自分有利さ信じていたが、山川のほうは、びっくりした指されてみると敵飛の横利き強く、こちらの攻め全部消されていて困ったとし、先手が不利とみていた。ただし肝心勝負のほうは▲5五歩△同歩▲同角から、後手は△8六歩▲同歩△8五歩継ぎ歩を狙うが、▲7七~6五桂の順が決まり先手勝利となる。▲6五桂に対して後手が△5四銀などと防ぐと今度継ぎ歩攻め利用する▲8五桂生じてしまった。結局後手の有利といって形勢微差だったとされる松田vs大山戦は、タテ取り模様からの図のようになったもの。後手大山時の名人名人までが△7三玉と囲い、これを最善とみているのである当時観戦記にも、さすがの松田瞬間自分目を疑い観戦記者に「名人にもあるまじき王立ちだと書いて下さい」と頼んだという。 なお、大山その後1981年にもこの珍形を用いている。 この戦型メリットは、玉を戦い中心からできるかぎり遠ざけることと、飛車の横利き攻防利かすことの2点とみられるが、大山場合相手松田陣の壁銀▲8八銀をとがめる向きもあるのではとされた。肝心勝負のほうは途中松田好手によって大山のさばきが封じられたが、終盤松田失着生じ珍玉戦法側の勝利となる。 先手山川次彦 - 後手萩原淳 (棋士)1956年読売棋戦持ち駒 角歩3 ▲ 持ち駒 歩図は△7三玉まで図 雲隠れの例 先手松田茂役 - 後手大山康晴1956年三社棋戦持ち駒 歩 ▲ 持ち駒 歩2図は△7三玉まで図 雲隠れの例

※この「三段玉の例」の解説は、「珍玉」の解説の一部です。
「三段玉の例」を含む「珍玉」の記事については、「珍玉」の概要を参照ください。

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