三段目:住吉鳥居前(通称:鳥居前)
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「夏祭浪花鑑」の記事における「三段目:住吉鳥居前(通称:鳥居前)」の解説
住吉大社鳥居前にはお梶と息子の長松、三婦らが出迎えに来ている。お梶親子は早速主人の放免に社へお礼詣り。三婦はたまたま通りかかった磯之丞が駕籠代のことで、悪党のこっぱの権となまの八に絡まれているのを救い、磯之丞を近所の茶屋に行かせる。そこへ、月代と髭の伸びた団七が役人に伴われて、縄を解かれる。「これも信心いたす、お不動様のおかげじゃ、また、兵太夫様、おありがとうございます、磯之丞様は私が命に賭けてお守り申します」と喜ぶ団七に、三婦が呼びかけ再会を喜んだあと、新しい着物を与える。団七は言われるままに床屋に入る。三婦は「さあ、これで何もかもすっくり行った。・・・着物に煙草入れに・・・しもた!肝心の白旗(白い下帯=褌の隠語)忘れてきたがな!・・・まあ、ええわい。わしのは今日切りたての初穂。まあ白旗やのうて赤旗じゃがな。・・・これ床の衆!床の衆!」と自分の赤い下帯を脱いで床屋の若い者に渡し悠々と茶屋へ向かう。 入れ違いに磯之丞の愛人琴浦が佐賀右衛門に言い寄れられるが、床から現れすっきりした侠客姿となった団七に救われる。琴浦を茶屋に逃がす間もなく、佐賀右衛門の子分の侠客一寸徳兵衛が現れる。「ちょっと待ってもらおうかい」「待ていうのはわしのことかい」「そうよ」「乙に時代に出かけたな」と双方にらみ合いとなって、ついに争いとなる。「言うをも聞かぬ攫み合い、打ちつ打たれつ止めても、踏み飛ばすやら蹴飛ばすやら、止めぬ仕様も並び立つ、辻札取って二人が中へ、横にこかして機転の楯」の浄瑠璃の通りに二人の争いをお梶が「曽根崎心中」の絵看板で止めに入り、徳兵衛はお梶が以前、自身の難儀を救ってくれた恩人とわかり謝罪する。また、徳兵衛の女房のお辰が玉島家の家臣だったこともわかり、団七と徳兵衛は互いの浴衣の片袖を交わして義兄弟の契りを結ぶ。 見どころ 前半部のむさくるしい姿から、「ずっと出でたる剃立ての、糸鬢頭青月代」の竹本の言葉どおり、後半部のすっきりした侠客姿への団七の変わり具合が見ものである。とくに二代目実川延若は堂々たる容姿と上方の色気を兼ね備えた近代最高の団七であった。 三婦が下帯を床の若い衆に解かせる場面においては、東京では地味に床の店に入るが、上方では三婦が床の者に下帯を持たせ「それ、引いたりしょ」の掛け声から下座音楽に「かんから太鼓」を交える派手な演出となり、いかにも上方らしいサービス満点さが楽しい。花道の引っ込みの際浴衣のすそを捲り上げようとして下帯のないのに気づき慌てて扇子で前を隠すという、観客の笑いを誘う演出がある。このあと、扇子で日をかざし内股で小走りに引っ込むのが上方の、「どっこいしょ」と前を押さえながらゆっくりと引っ込むのが江戸の演出である。 団七と徳兵衛の立ち回りは、双方同じ見得をする古風なやり方である。団七がどことなくもっさりした脂ぎった役柄なのに対して、徳兵衛はすらりと小粋な役柄。ただし以前は物乞いだったので、どことなく虚勢を張る感じが求められる。お梶に責められると「面目ない、面目ない」と頭を抱える弱さがあり、はじめの格好良さと対比する。かつては十四代目守田勘彌が当たり役とし、また今日では十五代目片岡仁左衛門、九代目松本幸四郎、中村橋之助などが得意としている。また、延若は立ち回りのときに下駄を投げ捨てる呼吸が群を抜いて上手く、誰も真似手がなかった。 最後の花道の引っ込みでは、お梶が団七の髷についた化粧紙をとって仲むつまじさを表す演出がある。 初夏のさわやかな雰囲気が、男同士の友情を際立たせている。団七赦免を告げる役人が扇を上にかざして退場する優れた型が伝わっている。2006年(平成18年)7月大阪松竹座で四代目坂田藤十郎がとつめたときは、原作どおりの春に季節を変え、登場人物も浴衣から袷を着用していた。
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