大橋宗桂_(初代)とは? わかりやすく解説

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大橋宗桂 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/06 07:22 UTC 版)

初代 大橋 宗桂(おおはし そうけい、弘治元年(1555年) - 寛永11年3月9日1634年4月6日))は、将棋指し一世名人。子に、二世名人・大橋宗古、初代大橋宗与がいる。近年の研究によると、初代宗桂の生前にはまだ大橋姓はなかったともいわれている。大橋本家初代。


注釈

  1. ^ 家康が主に愛好したのは、現在の将棋(当時は小将棋)だったが、宗桂ら当時の将棋指しは中将棋も研究・対局した。
  2. ^ この年は幕府より碁打ち衆、将棋衆の8名に俸禄が与えられ、宗桂は、算砂、利玄とともに50石10人扶持とされた。明治期に刊行された安藤如意『坐隠談叢』に「算砂が将棋所をゆずった」旨が記述されているが、この時期には「碁所」「将棋所」という言葉そのものがなく、信じがたいとの意見がある。(増川宏一『碁』『将棋II』及び福井正明著『囲碁古名人全集』の巻末評伝(秋山賢司))
  3. ^ 宗也は佐々木義秀系列に連なる武士、大橋五郎左衛門尉宗也としている

出典

  1. ^ 沼春雄『大人のための一から始める将棋再入門』、105ページ。
  2. ^ 増川宏一『将棋の歴史』、147ページ。
  3. ^ a b c 将棋400年史(マイナビ出版)
  4. ^ 勝浦修著『日本将棋大系1』(筑摩書房)より
  5. ^ 本因坊算砂の人物像と囲碁将棋界への技術的功績を再検証する
  6. ^ 増川宏一『将棋2』(法政大学出版部、ものと人間の文化史23-2、1985年)、237~250ページ。
  7. ^ 崇文院編 崇文叢書 第2輯之52. 崇文院, 1932年3月、43-46丁(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 加藤久弥「日本将棋はいつごろ生まれたか「天文年間」を証する重要資料を発掘(続)「宗桂石碑の拓本」に関して」(『将棋世界』1983年新年号所収)
  9. ^ 増川『将棋2』、76~77ページ。


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