木村義雄 (棋士)
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木村 義雄(きむら よしお、1905年(明治38年)2月21日[注 3] - 1986年(昭和61年)11月17日)は、将棋棋士。十四世名人。棋士番号は2。東京府東京市本所区本所表町(現:東京都墨田区)出身。
注釈
- ^ 四段昇段年。
- ^ 名人8期を含む
- ^ 将棋ライターの松本博文によると、木村存命当時を知る複数の将棋関係者から、1905年生まれというのは実際の生年ではなく、実際はもう少し年上である可能性があるとの指摘がなされている[2]
- ^ 2020年3月現在において、順位戦A級在籍時に現役を引退した棋士は、木村の他は高島一岐代と升田幸三の3人である。ただし、高島と升田はいずれも病気休場したままの引退であった。他には山田道美、大山康晴、村山聖の3人がA級在籍時に病気により死去している。
- ^ 正確な「盤寿」は数え年の81歳。
- ^ 「将棋の日」の由来は、江戸時代の御城将棋・御城碁の日である。
- ^ 順位戦には第2-3期の通算2期のみの参加で、順位戦での負け越しがないまま引退した唯一のケースである(第2期で7勝7敗、第3期で7勝2敗)。
出典
- ^ (a) 「第五十一局 朝日新聞掲載 大正九年八月十九日 関根先生宅に於て (角香交 六段 村越爲吉 香落番 三段 木村義雄)」, 『木村義雄全集 修業篇 第2巻』, 博文館, 1943年. (b)「木村氏昇段」, 朝日新聞, 1920年(大正9年)8月23日 東京 朝刊 7頁 5段.
- ^ 松本博文 (2020年2月27日). “木村義雄14世名人は現役中、歳をいくらかサバ読みしてた?「早熟の天才」の年齢に関するミステリー”. 2021年3月9日閲覧。
- ^ 『本因坊と私』(日本の名随筆:囲碁Ⅱ:作品社)P.27
- ^ 『将棋一代 ある勝負師の生涯』(文春文庫)P.129
- ^ 『将棋一代』(日本図書センター)巻末年譜
- ^ 誠文堂。『大日本百科全書』の一巻として
- ^ 週刊将棋編『名局紀行』(毎日コミュニケーションズ)P.114
- ^ 週刊将棋編『名局紀行』(毎日コミュニケーションズ)P.114-115
- ^ 週刊将棋編『名局紀行』毎日コミュニケーションズ P.101-102
- ^ 『ある勝負師の生涯 将棋一代』(文春文庫)P,213-214
- ^ 週刊将棋編「名局紀行」毎日コミュニケーションズ P.123
- ^ 東公平『升田幸三物語』(角川文庫)
- ^ a b c d 弦巻勝 (2015年3月5日). “参名人を撮る”. 弦巻勝のWeb将棋写真館. 日本将棋連盟. 2020年5月16日閲覧。
- ^ 『ある勝負師の生涯 将棋一代』(文春文庫)巻末の天狗太郎による注釈より。元ソースは「毎日新聞」1986年12月1日号
- ^ 『週刊将棋』2016年1月20日号・田丸昇のクイズ
- ^ 『将棋世界』2014年1月号・河口俊彦「評伝 木村義雄」
- ^ 日本将棋連盟「棋士系統図」
- ^ 山川次彦『将棋二百年名局の旅』(三一書房)P.129
- ^ 週刊将棋編『名局紀行』(毎日コミュニケーションズ)P.95
- ^ 山口恭徳 (2019-01). “新聞将棋の始まりから発展へ”. 将棋と文学研究会: 75 2021年3月30日閲覧。.
- 1 木村義雄 (棋士)とは
- 2 木村義雄 (棋士)の概要
- 3 門下・縁戚
- 4 昇段履歴
- 5 主な著書
- 6 参考文献
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