大内延介とは? わかりやすく解説

大内延介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/15 19:21 UTC 版)

大内 延介(おおうち のぶゆき、1941年10月2日 - 2017年6月23日[2])は、将棋棋士土居市太郎名誉名人門下。棋士番号は86。東京府東京市(現:東京都港区)出身。中央大学卒業[3]


注釈

  1. ^ 2009年の第67期名人戦第6局の立会人を務めた際、1日目のテレビ中継(NHK衛星第2テレビジョン、2009年6月15日午前)で、大内の名人戦登場の映像が紹介された際、アナウンサーが、「名人位に手が届くとなると平常心を保てなくなるか」と質問したのに対して語ったものである。なお、語った後、微笑しながら「一生言うまいと思っていましたが、気が緩みましたね」と述懐した。
  2. ^ のちに淡路仁茂九段も同様の形で有終の美を飾る(2015年5月21日竜王戦5組残留決定戦・対森雞二
  3. ^ 2019年現在の規定では、引退内定の時点で竜王戦5組に残留した場合は竜王戦のみ最長2年間延長して出場できる。但し同規定は2010年7月9日に改訂されたものであり、大内は翌期竜王戦には出場できなかった。

出典

  1. ^ 東京都は1943年設置。港区は1947年に芝区麻布区赤坂区が合併して成立。
  2. ^ a b c 大内延介九段 訃報ならびに「お別れの会」のお知らせ”. 日本将棋連盟 (2017年6月26日). 2017年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月26日閲覧。
  3. ^ 将棋部会”. 白門 中央大学学員会名古屋支部. 2019年7月25日閲覧。
  4. ^ a b 将棋世界」(日本将棋連盟)2000年1月号付録。
  5. ^ 田丸昇『将棋名人戦秘話』(マイナビ)P.65
  6. ^ 田丸昇『将棋名人戦秘話』(マイナビ)P.66
  7. ^ 田丸昇『将棋名人戦秘話』(マイナビ)P.70
  8. ^ a b 訃報 大内延介さん75歳=将棋棋士九段、怒濤流の棋風”. 毎日新聞 (2017年6月26日). 2017年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月5日閲覧。
  9. ^ a b c d e 田丸昇 (2017年7月27日). “『山口瞳、吉永小百合をも魅了した大内延介九段の生涯』-「将棋界を斬る 田丸昇九段の眼」”. 日刊ゲンダイ. 2017年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月26日閲覧。
  10. ^ a b 大内延介九段「お別れの会」 - 関係者・ファン約500人が参会”. 日本将棋連盟 (2017年7月18日). 2017年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月18日閲覧。
  11. ^ a b 大内九段に別れ - 将棋・500人が惜しむ”. 朝日新聞 (2017年7月21日). 2017年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月21日閲覧。
  12. ^ a b 最優秀棋士賞に羽生善治竜王、特別賞に藤井聡太六段。第45回将棋大賞決まる|将棋ニュース」『日本将棋連盟』、2018年4月2日。2018年4月2日閲覧。オリジナルの2018年4月2日時点におけるアーカイブ。
  13. ^ 穴熊名局集~穴熊の名棋士へインタビュー~|将棋情報局”. マイナビ出版 将棋情報局 (2015年5月19日). 2018年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。
  14. ^ 中平 1974, pp. 87–95, 奇行
  15. ^ 山田 2002, p. 167
  16. ^ a b 山田 2002, p. 70
  17. ^ a b NHKテレビテキスト 「将棋講座」2012年5月号。
  18. ^ “新橋SL広場で将棋の名人戦大盤解説会-今年も大内九段が登壇” (日本語). 新橋経済新聞. (2012年4月23日). 2012-4-23. オリジナルの2018年4月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180409233510/https://shinbashi.keizai.biz/headline/1212/ 2018年4月9日閲覧。 
  19. ^ 第30期竜王戦七番勝負第4局 新橋西口SL広場大盤解説会”. 日本将棋連盟 (2017年10月11日). 2017年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月11日閲覧。
  20. ^ 第30期竜王戦七番勝負第5局 新橋西口SL広場大盤解説会”. 日本将棋連盟 (2017年11月27日). 2017年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月5日閲覧。
  21. ^ ツィート”. 藤森哲也 (2017年12月5日). 2017年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月5日閲覧。
  22. ^ 第76期名人戦第1局 新橋西口SL広場大盤解説会|イベント」『日本将棋連盟』。2018年4月9日閲覧。オリジナルの2018年4月10日時点におけるアーカイブ。
  23. ^ [締切迫る大内門下杯 子ども将棋大会のご案内]”. 日本将棋連盟. 2018年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月5日閲覧。
  24. ^ 大内門下杯 子ども将棋大会 告知チラシ” (PDF). 日本将棋連盟. 2018年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月5日閲覧。
  25. ^ a b c d e 将棋の大内九段、搭乗断られ成田で暴力容疑”. 朝日新聞 (2003年10月11日). 2003年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。
  26. ^ a b c d 将棋の大内九段、JAL機に乗り遅れ係員とトラブル”. 産経新聞 (2003年10月11日). 2003年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。
  27. ^ 理事会よりご報告”. 日本将棋連盟 (2013年10月15日). 2003年12月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。
  28. ^ 第36回将棋大賞決まる!|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2009年4月1日). 2017年7月19日閲覧。



大内延介

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棋風」の記事における「大内延介」の解説

豪快な振り飛車戦法を得意とし、特に中飛車果敢に攻撃する棋風振り飛車党で、矢倉急戦矢倉中飛車愛用しツノ銀中飛車穴熊を得意としたが特に振飛車穴熊駆使して怒濤流」と呼ばれ邪道視されていた穴熊プロ戦法昇華させて「穴熊総裁」とも呼ばれた

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大内延介

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5五の龍」の記事における「大内延介」の解説

将棋の強い有名人多数親交があることで有名で、エピソードも多い。

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