大内 延介(おおうち のぶゆき)
Nobuyuki Ouchi
- タイトル履歴
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棋王 1期(第1期-1975年度) 登場回数合計 4回
名人:1回(第34期-1975年)
王位:1回(第8期-1967年度)
棋王:2回(第1期-1975年度~2期)獲得合計 1期 - 優勝履歴
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全日本プロトーナメント 1回(第5回-1986年度) NHK杯戦 1回(第25回-1975年度) 勝ち抜き戦5勝以上 1回(第1回-1978年度) 日本将棋連盟杯争奪戦 2回(第7回-1974年度・13回) 古豪新鋭戦 2回(第5回-1961年度・6回) ほか 1回 優勝合計 8回 - 将棋大賞
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第 2回(1974年度) 連勝賞・殊勲賞 第 3回(1975年度) 敢闘賞 第 5回(1977年度) 連勝賞 第14回(1986年度) 特別賞 第36回(2008年度) 東京将棋記者会賞 - その他表彰
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1982年 産経児童出版文化賞 1987年 将棋栄誉賞(通算六百勝達成) 1987年 現役勤続25年 2000年 将棋栄誉敢闘賞(通算八百勝達成) 2002年 現役勤続40年
大内延介
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/15 19:21 UTC 版)
大内 延介(おおうち のぶゆき、1941年10月2日 - 2017年6月23日[2])は、将棋棋士。土居市太郎名誉名人門下。棋士番号は86。東京府東京市(現:東京都港区)出身。中央大学卒業[3]。
注釈
- ^ 2009年の第67期名人戦第6局の立会人を務めた際、1日目のテレビ中継(NHK衛星第2テレビジョン、2009年6月15日午前)で、大内の名人戦登場の映像が紹介された際、アナウンサーが、「名人位に手が届くとなると平常心を保てなくなるか」と質問したのに対して語ったものである。なお、語った後、微笑しながら「一生言うまいと思っていましたが、気が緩みましたね」と述懐した。
- ^ のちに淡路仁茂九段も同様の形で有終の美を飾る(2015年5月21日竜王戦5組残留決定戦・対森雞二)
- ^ 2019年現在の規定では、引退内定の時点で竜王戦5組に残留した場合は竜王戦のみ最長2年間延長して出場できる。但し同規定は2010年7月9日に改訂されたものであり、大内は翌期竜王戦には出場できなかった。
出典
- ^ 東京都は1943年設置。港区は1947年に芝区、麻布区、赤坂区が合併して成立。
- ^ a b c “大内延介九段 訃報ならびに「お別れの会」のお知らせ”. 日本将棋連盟 (2017年6月26日). 2017年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月26日閲覧。
- ^ “将棋部会”. 白門 中央大学学員会名古屋支部. 2019年7月25日閲覧。
- ^ a b 「将棋世界」(日本将棋連盟)2000年1月号付録。
- ^ 田丸昇『将棋名人戦秘話』(マイナビ)P.65
- ^ 田丸昇『将棋名人戦秘話』(マイナビ)P.66
- ^ 田丸昇『将棋名人戦秘話』(マイナビ)P.70
- ^ a b “訃報 大内延介さん75歳=将棋棋士九段、怒濤流の棋風”. 毎日新聞 (2017年6月26日). 2017年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月5日閲覧。
- ^ a b c d e 田丸昇 (2017年7月27日). “『山口瞳、吉永小百合をも魅了した大内延介九段の生涯』-「将棋界を斬る 田丸昇九段の眼」”. 日刊ゲンダイ. 2017年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月26日閲覧。
- ^ a b “大内延介九段「お別れの会」 - 関係者・ファン約500人が参会”. 日本将棋連盟 (2017年7月18日). 2017年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月18日閲覧。
- ^ a b “大内九段に別れ - 将棋・500人が惜しむ”. 朝日新聞 (2017年7月21日). 2017年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月21日閲覧。
- ^ a b 「最優秀棋士賞に羽生善治竜王、特別賞に藤井聡太六段。第45回将棋大賞決まる|将棋ニュース」『日本将棋連盟』、2018年4月2日。2018年4月2日閲覧。オリジナルの2018年4月2日時点におけるアーカイブ。
- ^ “穴熊名局集~穴熊の名棋士へインタビュー~|将棋情報局”. マイナビ出版 将棋情報局 (2015年5月19日). 2018年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。
- ^ 中平 1974, pp. 87–95, 奇行
- ^ 山田 2002, p. 167
- ^ a b 山田 2002, p. 70
- ^ a b NHKテレビテキスト 「将棋講座」2012年5月号。
- ^ “新橋SL広場で将棋の名人戦大盤解説会-今年も大内九段が登壇” (日本語). 新橋経済新聞. (2012年4月23日). 2012-4-23. オリジナルの2018年4月20日時点におけるアーカイブ。 2018年4月9日閲覧。
- ^ “第30期竜王戦七番勝負第4局 新橋西口SL広場大盤解説会”. 日本将棋連盟 (2017年10月11日). 2017年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月11日閲覧。
- ^ “第30期竜王戦七番勝負第5局 新橋西口SL広場大盤解説会”. 日本将棋連盟 (2017年11月27日). 2017年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月5日閲覧。
- ^ “ツィート”. 藤森哲也 (2017年12月5日). 2017年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月5日閲覧。
- ^ 「第76期名人戦第1局 新橋西口SL広場大盤解説会|イベント」『日本将棋連盟』。2018年4月9日閲覧。オリジナルの2018年4月10日時点におけるアーカイブ。
- ^ “[締切迫る大内門下杯 子ども将棋大会のご案内]”. 日本将棋連盟. 2018年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月5日閲覧。
- ^ “大内門下杯 子ども将棋大会 告知チラシ” (PDF). 日本将棋連盟. 2018年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月5日閲覧。
- ^ a b c d e “将棋の大内九段、搭乗断られ成田で暴力容疑”. 朝日新聞 (2003年10月11日). 2003年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。
- ^ a b c d “将棋の大内九段、JAL機に乗り遅れ係員とトラブル”. 産経新聞 (2003年10月11日). 2003年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。
- ^ “理事会よりご報告”. 日本将棋連盟 (2013年10月15日). 2003年12月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。
- ^ “第36回将棋大賞決まる!|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2009年4月1日). 2017年7月19日閲覧。
大内延介
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 08:34 UTC 版)
豪快な振り飛車戦法を得意とし、特に中飛車で果敢に攻撃する棋風の振り飛車党で、矢倉も急戦矢倉中飛車を愛用し、ツノ銀中飛車や穴熊を得意としたが特に振飛車穴熊を駆使して「怒濤流」と呼ばれ、邪道視されていた穴熊をプロの戦法に昇華させて「穴熊党総裁」とも呼ばれた。
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大内延介
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将棋の強い有名人多数と親交があることで有名で、エピソードも多い。
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