森 信雄(もり のぶお)
森信雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 10:24 UTC 版)
森 信雄(もり のぶお、1952年2月10日 - )は、将棋棋士。棋士番号126。2017年5月16日に引退。愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)出身[1]。南口繁一九段門下。愛媛県立三島高等学校卒業[2]。
注釈
- ^ 奨励会を受験するには師匠になってくれる棋士が必要である。
- ^ 19歳で奨励会を受験する例は稀であり、その年齢で奨励会に入って四段昇段(プロ入り)を果たす例はきわめて稀である。
- ^ 2018年現在、奨励会6級はアマ三段-五段に相当する[6]。
- ^ 奨励会は通常は6級で受験するが、一定年齢以上の場合は、より上の級で受験・合格しなければならない。2018年現在の規定では、基準日となる8月末日時点で満15歳以下なら6級で受験できるが、満19歳であると1級で受験しなければならない[7]。
- ^ JR福島駅前の関西将棋会館(1982年開館)に移転する前の連盟関西本部は、大阪市阿倍野区北畠にある2階建ての木造家屋であった[8]。
- ^ 2018年現在の規定でも、満21歳の誕生日までに初段にならないと年齢制限で退会となるのは変わっていない[9]。
出典
- ^ 「森信雄|棋士データベース」『日本将棋連盟』。2018年9月27日閲覧。オリジナルの2018年9月27日時点におけるアーカイブ。
- ^ 森信雄「森信雄 on Twitter」『Twitter』、2018年9月27日。2018年9月27日閲覧。オリジナルの2018年9月27日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 大崎 2002, pp. 88–100, 第二章 心の風景-師匠
- ^ 帝国化成の跡地 森信雄の写真あれこれ 2005年9月6日
- ^ a b “棋士データベース 七段 森信雄 昇段履歴”. 日本将棋連盟. 2018年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月5日閲覧。
- ^ “将棋の基礎知識 段と級 プロ・女流・アマの段位”. 日本将棋連盟. 2018年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月4日閲覧。
- ^ “奨励会”. 日本将棋連盟. 2018年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月4日閲覧。
- ^ “「将棋棋士田丸昇のと金横歩き」大阪・北畠の旧関西本部の思い出と今は駐車場になっている跡地”. 田丸昇 (2012年4月30日). 2018年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月4日閲覧。
- ^ “奨励会規定”. 日本将棋連盟. 2018年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月4日閲覧。
- ^ a b c d e “将棋コラム「あの期間がなかったら、絶対に棋士にはなれなかった」森信雄七段が塾生時代に得たものとは? 森信雄七段インタビュー Vol.1 24時間将棋漬けの奨励会時代」(ライター:虹)”. 日本将棋連盟. 2018年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月4日閲覧。
- ^ “2007年4月1日付昇段・昇級者|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2007年4月1日). 2022年9月16日閲覧。
- ^ “将棋:森信雄七段が引退 故村山聖九段の師匠” (日本語). 毎日新聞. (2017年5月16日). オリジナルの2018年5月5日時点におけるアーカイブ。 2018年5月5日閲覧。
- ^ “森けい二九段、宮田利男八段、森信雄七段が引退|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2017年5月17日). 2022年9月15日閲覧。
- ^ 平成29年度 宝塚市特別賞・市民文化賞・市民スポーツ賞・すみれ賞表彰式を開催しました。 宝塚市 2018年3月16日
- ^ 宝島社「将棋観戦が楽しくなるプロ棋士名鑑2015」
- ^ a b c 初めての弟子・村山聖九段との思い出「村山君との関係は普通のマニュアルに書いていない局面ばかり出てきた。」 - 日本将棋連盟・2017年10月27日
- ^ 関西将棋会館・公式twitter @shogi_osaka(2017年2月9日)
- ^ 第11期村山聖杯将棋怪童戦開催のお知らせ 2012年7月6日
- ^ 森信雄の日々あれこれ日記 第10期怪童戦 2011年8月22日
- ^ 村山聖七段(当時)「僕は森先生が結婚することを、新聞を見て初めて知ったんです。弟子に言わない師匠がありますかねェ」 - 将棋ペンクラブログ・2013年8月8日
- ^ 森信雄六段(当時)「そやな、一対一は危ないからワシが付きっきりでちょっとだけな」 - 将棋ペンクラブログ 2014年5月5日
- ^ a b c 野澤 2018, pp. 171–173, 第四章 対極 森信雄・糸谷哲郎-一門の会
- ^ “息子は「心の中で生き続ける」棋士の夢追った場で最後の追悼” (Japanese). 神戸新聞 (2019年1月17日). 2019年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月18日閲覧。
- ^ 森信雄 (2019年1月17日). “ツィート”. Twitter. 2019年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月17日閲覧。
- ^ “1月17日金曜 震災25年”. 森信雄の日々あれこれ日記 (2022年1月19日). 2020年1月19日閲覧。
- ^ “将棋の棋士、亡き弟子の名を慰霊碑に探す ぼくとつでまじめ「プロになれば必ず活躍した」”. 神戸新聞 (2022年1月17日). 2022年1月18日閲覧。
- ^ 第26回将棋ペンクラブ大賞 将棋ペンクラブブログ 2014年7月23日
- ^ “金太郎晴れ姿? 澤田四段来訪”. 森信雄の日々あれこれ日記. 2021年3月9日閲覧。
- ^ a b c “糸谷八段、千田六段、室谷女流二段の共通点とは?将棋界の師弟関係の魅力に迫る(ライター:直江雨続)”. 日本将棋連盟 (2017年1月5日). 2018年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月6日閲覧。
- ^ “夏のイベント” (日本語). 森信雄の写真あれこれ. (2018年6月12日). オリジナルの2018年6月12日時点におけるアーカイブ。 2018年6月12日閲覧。
- ^ “第44回将棋大賞受賞者のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2017年3月31日). 2022年9月16日閲覧。
森信雄
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「聖 -天才・羽生が恐れた男-」の記事における「森信雄」の解説
第1巻を除く全巻に登場。主に村山との師弟間の関わりが描写されたが、上述の第45期C級2組順位戦1回戦における羽生との対局も描写された(結果は羽生が勝ち)。
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