野村慶虎
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野村 慶虎 七段 | |
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名前 | 野村 慶虎 |
生年月日 | 1899年12月12日 |
没年月日 | 1977年1月10日(77歳没) |
プロ入り年月日 | 1936年(36歳) |
引退年月日 | 1957年(57歳) |
出身地 | 高知県吾川郡伊野町(現・いの町) |
所属 | 日本将棋革新協会 →将棋大成会(関西) →日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 神田辰之助九段 |
弟子 | 熊谷達人、大原英二 |
段位 | 七段 |
順位戦最高クラス | C級1組(通算4期) |
2022年2月21日現在 |
野村 慶虎(のむら よしとら、1899年〈明治32年〉12月12日[1] - 1977年〈昭和52年〉1月10日[2])は、将棋棋士。七段。神田辰之助九段門下。高知県吾川郡伊野町(現・いの町)出身[1]。
経歴
1930年(昭和5年)に神田辰之助に入門し三段を許される[1]。
1936年(昭和11年)に四段、1943年(昭和18年)に五段、1948年(昭和23年)に六段へと昇段する[1]。
戦後、戦災のため復帰が遅れ、順位戦には1947年の第2期順位戦C級から参加した。
1957年(昭和32年)に引退[1]。1968年(昭和43年)に贈七段[1]。
1977年(昭和52年)1月10日、脳軟化症のため死去[2]。
弟子
人物
1954年-55年の第9期順位戦C級2組で、当時15歳の加藤一二三と対局した。加藤はのちに将棋界で史上唯一となる「19世紀生まれ、20世紀生まれ、21世紀生まれ(藤井聡太)の3つの世紀に生まれた棋士と公式戦で対局した記録」を達成しており、加藤と対戦した19世紀生まれの棋士として野村と村上真一の存在がクローズアップされることとなった(生まれは村上の方が先)。
昇段履歴
- 1930年神田辰之助門下、三段)[1] :入門(
- 1936年 :四段 [1]
- 1943年 :五段 [1]
- 1948年 4月 1日:六段(順位戦C級上位)[1]
- 1957年 :引退 [1]
- 1968年11月 3日:七段(表彰感謝の日表彰)[1]
- 1977年 1月10日:死去 [2]
主な成績
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脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
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番号一覧には退会者の番号を含む / 詳細は 将棋棋士一覧 および 将棋の女流棋士一覧 を参照 |
固有名詞の分類
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