野村慶虎とは? わかりやすく解説

野村慶虎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/05 09:08 UTC 版)

 野村 慶虎 七段
名前 野村 慶虎
生年月日 (1899-12-12) 1899年12月12日
没年月日 (1977-01-10) 1977年1月10日(77歳没)
プロ入り年月日 1936年(36歳)
引退年月日 1957年(57歳)
出身地 高知県吾川郡伊野町(現・いの町
所属 日本将棋革新協会
→将棋大成会(関西)
日本将棋連盟(関西)
師匠 神田辰之助九段
弟子 熊谷達人大原英二
段位 七段
順位戦最高クラス C級1組(通算4期)
2022年2月21日現在
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野村 慶虎(のむら よしとら、1899年〈明治32年〉12月12日[1] - 1977年〈昭和52年〉1月10日[2])は、将棋棋士。七段。神田辰之助九段門下。高知県吾川郡伊野町(現・いの町)出身[1]

経歴

1930年(昭和5年)に神田辰之助に入門し三段を許される[1]

1936年(昭和11年)に四段、1943年(昭和18年)に五段、1948年(昭和23年)に六段へと昇段する[1]

戦後、戦災のため復帰が遅れ、順位戦には1947年第2期順位戦C級から参加した。

1957年(昭和32年)に引退[1]1968年(昭和43年)に贈七段[1]

1977年(昭和52年)1月10日、脳軟化症のため死去[2]

弟子

弟子に熊谷達人大原英二がいる[1]

人物

趣味は囲碁(初段)[1]

1954年-55年の第9期順位戦C級2組で、当時15歳の加藤一二三と対局した。加藤はのちに将棋界で史上唯一となる「19世紀生まれ、20世紀生まれ、21世紀生まれ(藤井聡太)の3つの世紀に生まれた棋士と公式戦で対局した記録」を達成しており、加藤と対戦した19世紀生まれの棋士として野村と村上真一の存在がクローズアップされることとなった(生まれは村上の方が先)。

昇段履歴

主な成績

脚注

注釈

出典

関連項目

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