塚田泰明とは? わかりやすく解説

塚田泰明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/18 03:45 UTC 版)

 塚田泰明 九段
名前 塚田泰明
生年月日 (1964-11-16) 1964年11月16日(60歳)
プロ入り年月日 1981年3月5日(16歳)
棋士番号 148
出身地 東京都
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 大内延介九段
弟子 藤森哲也塚田恵梨花
段位 九段
棋士DB 塚田泰明
戦績
タイトル獲得合計 1期
一般棋戦優勝回数 3回
順位戦クラス A級(7期)
2024年4月11日現在
テンプレートを表示

塚田 泰明(つかだ やすあき、1964年11月16日 - )は大内延介九段門下の将棋棋士。(棋士番号148)。東京都出身。1980年度(昭和55年度)にプロ入り(四段に昇段)した強豪グループ、いわゆる「55年組」の一人。

棋歴

プロ入り~A級昇級まで

  • 中学2年時の1978年に第32回アマ名人戦に出場し準優勝。同年11月に4級で奨励会に入会。そこからわずか2年4ヶ月後の1981年3月5日に四段に昇段するという記録的なスピードでのプロ入りを果たした。
  • 順位戦では参加2年目の第41期(1982年度)から好成績を連発し、当期C級2組順位戦を10戦全勝しC級1組へ昇級。翌第42期(1983年度)C級1組順位戦では8勝2敗で4位。第43期(1984年度)C級1組順位戦では10戦全勝でB級2組へ昇級。第44期(1985年度)B級2組順位戦では、トップと同星の8勝2敗で4位。第45期(1986年度)B級2組順位戦では、8勝2敗で2位となりB級1組へ昇級。そして、第46期(1987年度)B級1組順位戦では10勝2敗で1位となり、2年連続昇級でA級八段となる。
  • この間は順位戦以外においても目まぐるしい活躍を遂げ、若手の登竜門の棋戦でも3回優勝した。第2回(1983年度)早指し新鋭戦で棋戦初優勝(決勝の相手は高橋道雄)。同棋戦では4年後の第6回でも優勝(決勝の相手は森下卓)。新人王戦でも第17回(1986年度)で脇謙二との三番勝負を2連勝で制し優勝。
  • 1986年度に、相掛かりの先手番の超急戦戦法である「塚田スペシャル」を開発し、公式戦22連勝という前人未到の記録を樹立[注 1]するなど活躍した[注 2]。この連勝には、第17回新人王戦(前述)の準々決勝から決勝三番勝負までの白星の他、中原誠からの2勝、米長邦雄羽生善治森雞二からの1勝も含まれていた。尚、この連勝記録は、神谷広志が1987年2月から8月まで28連勝を達成したことによって半年程度で塗り替えられ、2022年3月現在は藤井聡太(29連勝)・神谷広志(28連勝)・丸山忠久(24連勝)に次ぐ歴代4位の記録となっている。

タイトル戦などでの活躍

  • 王将戦では第35期(1985年度)一次予選から勝ち抜き棋界屈指の難関とされる王将リーグ入り、4勝2敗で4位残留。翌第36期(1986年度)は5回戦で谷川浩司に負けただけの5勝1敗で中原誠とのプレーオフに進出(敗北しタイトル挑戦ならず)。第37期(1987年度)は前半で4連敗するなど振るわず2勝4敗で高橋道雄との残留決定戦に敗れリーグ陥落。
  • 1987年第35期王座戦でタイトル初挑戦。中原誠王座とのフルセットの戦いの末に3-2で奪取(1987年10月21日)。「55年組」の中で、高橋道雄中村修に次ぐ3人目のタイトルホルダーとなった[注 3]。塚田が中原の二冠の一角を崩したことにより、この時点で、7つのタイトルを7人の棋士が1つずつ持ち合うという、珍しい状態が発生した[注 4]。この年度は、A級昇級(前述)を決めた年度でもある。
1987年10月21日時点のタイトルホルダー
名人 十段 棋聖 王位 王座 棋王 王将
中原誠 福崎文吾 桐山清澄 谷川浩司 (中原誠)

塚田泰明
高橋道雄 中村修
  • 第36期、王座の防衛戦では中原の返り討ちに遭い3連敗で防衛失敗、1期で王座のタイトルを失った。
  • 前期のリーグ成績不振により二次予選から出直しとなった第38期(1988年度)王将戦では即リーグ復帰も2勝4敗で陥落となった。
  • 棋聖戦では第53期(1988年度後期)から第56期(1990年度前期)まで4期連続でベスト4に進出。第56期では大山康晴島朗・高橋道雄を破り屋敷伸之との挑戦者決定戦に進出(敗北しタイトル挑戦ならず)。
  • 王座戦では失冠から2期後の第38期(1990年)でもベスト4に進出(準決勝で谷川浩司に敗北)。
  • 第41回NHK杯戦(1991年度)で森下卓郷田真隆・高橋道雄らを破り準優勝[注 5]
  • 第8回天王戦(1992年度)で羽生善治・南芳一らを破り準優勝[注 6]
  • 第61期棋聖戦(1992年度後期)棋聖戦でも2次予選を勝ち抜き本戦出場。本戦でも阿部隆・高橋道雄・南芳一を破り2度目の挑戦者決定戦進出(郷田真隆に敗北しタイトル挑戦ならず)。
  • 第44期王将戦(1994年度)で二次予選を勝ち抜き6期振りの王将リーグ入り(リーグは6回戦で有吉道夫に勝っただけの1勝5敗で陥落)。
  • 1997年第10期竜王戦で1組優勝(本戦では初戦3回戦で当期挑戦者となった真田圭一に敗退)。

九段昇段からフリークラス転出まで

棋風

  • 攻め100%」「昇天流」といわれる豪快な攻めの棋風で知られる。その攻めは「塚田が攻めれば道理が引っ込む」と評されたほどである。
  • 電王戦での二つ名は「攻め十割の昇天流」。

人物

  • 左利きであり、左手で駒を持つ。
  • 妻は女流棋士高群佐知子、娘は女流棋士かつ弟子の塚田恵梨花。娘の恵梨花からみて両親が棋士と女流棋士というのは、将棋界初で唯一である[4]。恵梨花は2023年10月開始の第4期より女流順位戦A級に在籍しているが、父と娘が揃って順位戦(女流順位戦)A級在籍経験者となるのも将棋界初である。高群との結婚の前、二人で極秘に沖縄旅行に行ったが台風で久米島から帰れなくなり、テレビ収録の仕事を二人ともキャンセルした[5]。交際が公になっていなかったため二人は連盟に別々に連絡し、高群が電話で沖縄にいる旨を伝えた一方、塚田は沖縄と言うとバレてしまうので「いま南の島にいます」と電話したが、結局交際が発覚した。この一連の出来事は「南の島事件」と呼ばれ、棋界の人間を招いた結婚式でも披露された。
  • 師匠の大内にはNHKテレビテキスト将棋講座2012年5月号で「おしゃれな子だった」と入門時の第一印象を述べられていた。

弟子

棋士となった弟子

名前 四段昇段日 段位、主な活躍
藤森哲也 2011年10月1日 五段

(2017年3月24日現在)

女流棋士となった弟子

名前 女流2級昇級日 段位、主な活躍
塚田恵梨花 2014年10月1日 女流二段、A級在籍1期

(2023年7月3日現在)

対局・解説に関する逸話

  • 弟子の藤森哲也が、2011年10月1日付で四段に昇段。それから1年8ヶ月後に行われた第85期棋聖戦一次予選2回戦で藤森との「師弟対決」が実現、128手で後手の塚田が勝ち、師匠としての貫禄を示した。
  • 師匠の大内とは1985年から1999年まで延べ8回対戦し、3回“恩返し”を遂げた。
  • 2004年6月20日にNHK教育テレビ(現Eテレ)で放送された第54回NHK杯1回戦で豊川孝弘六段と田村康介五段(段位はいずれも当時)の対戦を解説。聞き手の女流棋士千葉涼子と大盤で今後の戦術を話していた最中、豊川が二歩の禁じ手を犯してしまった。塚田はその着手を確認するや否や「打っちゃったよ、打っちゃった」と困惑した口調で発言した。尚、当対局は「トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜」や「マツコ&有吉の怒り新党」という、将棋をテーマとしないテレビ番組でも取り上げられ、当該映像では塚田の声も確認できる。

昇段履歴

  • 1978年00月00日 : 4級 = 奨励会入会
  • 1979年00月00日 : 初段
  • 1981年03月05日 : 四段 = プロ入り
  • 1983年04月01日 : 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 1985年04月01日 : 六段(順位戦B級2組昇級)
  • 1987年04月01日 : 七段(順位戦B級1組昇級)
  • 1988年04月01日 : 八段(順位戦A級昇級)
  • 2000年12月15日 : 九段(勝数規定/八段昇段後公式戦250勝)[6]

主な成績

獲得タイトル

他の棋士との比較は、タイトル獲得記録将棋のタイトル在位者一覧を参照。

タイトル 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 備考
竜王 0
名人 0
叡王 0
王位 0
王座 1987 2回 1期
棋王 0
王将 0
棋聖 0
旧タイトル 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 備考
十段 0
登場回数2、獲得合計1期
タイトル戦登場
  • 王座:2回(1987年度=第35期 - 1988年度)
登場回数 合計2回

一般棋戦優勝

優勝合計 3回

将棋大賞

  • 第13回(1985年度) 技能賞
  • 第14回(1986年度) 連勝賞・技能賞
  • 第15回(1987年度) 技能賞
  • 第42回(2014年度) 升田幸三賞特別賞(塚田スペシャル[7]

在籍クラス

順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[8]
(出典)竜王戦
出典[9]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1981 40 C230 5-5
1982 41 C219 10-0
1983 42 C118 8-2
1984 43 C103 10-0
1985 44 B219 8-2
1986 45 B203 8-2 棋戦創設前
1987 46 B113 10-2 1 1組 -- 0-3
1988 47 A 09 4-5 2 2組 -- 1-2
1989 48 A 07 4-5 3 2組 0-1 4-0
1990 49 A 07 6-3 4 1組 1-1 3-1
1991 50 A 03 3-6 5 1組 -- 0-2
1992 51 A 08 4-5 6 2組 1-1 4-0
1993 52 A 08 4-5 7 1組 -- 2-2
1994 53 A 06 3-6 8 1組 -- 1-2
1995 54 B101 5-7 9 1組 -- 2-2
1996 55 B107 3-9 10 1組 0-1 4-0
1997 56 B202 7-3 11 1組 -- 3-2
1998 57 B204 6-4 12 1組 -- 1-3
1999 58 B206 4-6 13 2組 -- 2-2
2000 59 B211 8-2 14 2組 -- 0-3
2001 60 B203 5-5 15 3組 -- 2-2
2002 61 B208x 3-7 16 3組 -- 0-3
2003 62 B220*x 3-7 17 4組 -- 4-1
2004 63 C102 7-3 18 3組 0-1 4-0
2005 64 C104 5-5 19 2組 -- 1-2
2006 65 C115 4-6 20 2組 -- 0-2
2007 66 C119 5-5 21 3組 -- 0-2
2008 67 C113 7-3 22 4組 -- 1-2
2009 68 C106 8-2 23 4組 -- 2-2
2010 69 C13x 1-9 24 4組 -- 2-2
2011 70 C133*+ 7-3 25 4組 -- 1-2
2012 71 C108 6-4 26 4組 -- 1-2
2013 72 C111 3-7 27 4組 -- 1-2
2014 73 C128x 2-8 28 4組 -- 2-2
2015 74 C133* 4-6 29 4組 -- 4-1
2016 75 C128* 4-6 30 3組 -- 0-2
2017 76 C125* 3-7 31 4組 -- 3-2
2018 77 C130* 4-6 32 4組 -- 2-2
2019 78 C126*x 3-7 33 4組 -- 0-3
2020 79 C201x 2-8 34 5組 -- 0-3
2021 80 C247*x 2-8 35 6組 -- 0-2
2022 81 F宣 36 6組 -- 3-2
2023 82 F宣 37 6組 -- 0-2
2024 83 F宣 38 6組 -- -
2025 84 F宣 39 (開始前)
第88期順位戦(2029年度)まで現役継続可
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

年度別成績

公式棋戦成績
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1981 33 19 14 0.5758 [10]
1982 51 37 14 0.7255 [11]
1983 51 35 16 0.6863 [12]
1984 48 33 15 0.6875 [13]
1985 57 41 16 0.7193 [14]
1986 52 37 15 0.7115 [15]
1987 51 31 20 0.6078 [16]
1988 45 21 24 0.4667 [17]
1989 40 22 18 0.5500 [18]
1990 36 20 16 0.5556 [19]
1981-1990
(小計)
464 296 168
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1991 46 24 22 0.5217 [20]
1992 38 21 17 0.5526 [21]
1993 36 19 17 0.5278 [22]
1994 44 20 24 0.4545 [23]
1995 35 16 19 0.4571 [24]
1996 27 9 18 0.3333 [25]
1997 30 16 14 0.5333 [26]
1998 33 17 16 0.5152 [27]
1999 37 22 15 0.5946 [28]
2000 48 33 15 0.6875 [29]
1991-2000
(小計)
374 197 177
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
2001 38 21 17 0.5526 [30]
2002 32 11 21 0.3438 [31]
2003 25 9 16 0.3600 [32]
2004 29 17 12 0.5862 [33]
2005 32 18 14 0.5625 [34]
2006 30 13 17 0.4333 [35]
2007 25 9 16 0.3600 [36]
2008 23 10 13 0.4348 [37]
2009 28 18 10 0.6429 [38]
2010 30 11 19 0.3667 [39]
2001-2010
(小計)
291 137 154
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
2011 28 12 16 0.4286 [40]
2012 25 12 13 0.4800 [41]
2013 27 12 15 0.4444 [42]
2014 37 19 18 0.5135 [43]
2015 35 18 17 0.5143 [44]
2016 34 17 17 0.5000 [45]
2017 35 17 18 0.4857 [46]
2018 27 9 18 0.3333 [47]
2019 30 13 17 0.4333 [48]
2020 26 5 21 0.1923 [49]
2011-2020
(小計)
304 134 170
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
2021 24 4 20 0.1667 [50]
2022 19 8 11 0.4211 [51]
2023 22 10 12 0.4545 [52]
2021-2023
(小計)
65 22 43
通算 1499 786 713 0.5243 [53]
2023年度まで

その他表彰

著書

出演

ゲーム

  • 将棋風林火山(スーパーファミコン用ソフト、1993年10月発売、ポニーキャニオン)5名の連名で監修

脚注

注釈

  1. ^ 塚田の連勝を止めたのは、谷川浩司である。
  2. ^ その後研究が進み有力な対抗策が現れたため、現在では塚田スペシャルが採用される対局はほとんどない。詳しくは、塚田スペシャルを参照。
  3. ^ その後、間もなく、南芳一島朗もタイトルを獲得して、55年組のタイトル経験者は5名となる。
  4. ^ 同年11月25日に、高橋が福崎から十段位を奪取して二冠となったため、「完全戦国時代」は僅か1ヶ月で終わる。
  5. ^ 優勝者は羽生善治。
  6. ^ 優勝者は高橋道雄。
  7. ^ 優勝者は南芳一。
  8. ^ 田丸は既に降級点が確定していた。
  9. ^ 第63期で7勝3敗・第67期で7勝3敗・第68期で8勝2敗・第70期で7勝3敗。

出典

  1. ^ a b 塚田泰明九段、600勝(将棋栄誉賞)を達成|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2024年8月13日閲覧。
  2. ^ 「棋士に聞く本音対談 塚田泰明九段×中村修九段 55年組とは何だったのか?」『将棋世界』、日本将棋連盟、2013年8月、100頁。 
  3. ^ 昇段・引退・休場棋士のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2022年4月1日閲覧。
  4. ^ 両親がともに棋士ってどんな家庭? 「父とは指したことがない」という塚田恵梨花女流初段に聞いてみた”. 文春オンライン (2020年3月13日). 2021年11月17日閲覧。
  5. ^ コラムの森 早指し将棋妙手奇手・アナウンサー島田良夫氏(2012年7月12日付アーカイブ)”. NIKKEI NET 将棋王国 (2003年3月20日). 2012年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月17日閲覧。
  6. ^ 棋士の昇段など(日本将棋連盟からのお知らせ)」『日本将棋連盟』。2001年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  7. ^ 第42回将棋大賞が決まる!|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2024年8月13日閲覧。
  8. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  9. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。
  10. ^ [1][名無しリンク]
  11. ^ [2][名無しリンク]
  12. ^ [3][名無しリンク]
  13. ^ [4][名無しリンク]
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  15. ^ [6][名無しリンク]
  16. ^ [7][名無しリンク]
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  19. ^ [10][名無しリンク]
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  36. ^ [27][名無しリンク]
  37. ^ [28][名無しリンク]
  38. ^ [29][名無しリンク]
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  41. ^ [32][名無しリンク]
  42. ^ [33][名無しリンク]
  43. ^ [34][名無しリンク]
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  45. ^ [36][名無しリンク]
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  47. ^ [38][名無しリンク]
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  49. ^ [40][名無しリンク]
  50. ^ [41][名無しリンク]
  51. ^ [42][名無しリンク]
  52. ^ [43][名無しリンク]
  53. ^ [44][名無しリンク]

関連項目

外部リンク


塚田泰明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 08:34 UTC 版)

棋風」の記事における「塚田泰明」の解説

16歳プロ入りしてから居飛車棋風は「攻め100%」「昇天流」と呼ばれる攻め将棋を得意とする塚田スペシャル連勝記録升田賞を受賞

※この「塚田泰明」の解説は、「棋風」の解説の一部です。
「塚田泰明」を含む「棋風」の記事については、「棋風」の概要を参照ください。

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