年
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年(ねん、とし、英: year)は、時間の単位の一つであり、春・夏・秋・冬、あるいは雨季・乾季という季節のめぐりが1年である[1]。元来は春分点を基準に太陽が天球を一巡する周期であり、平均して約365.242 189日(2015年時点)である(太陽年)。
注釈
- ^ 日本においてグレゴリオ暦導入前に使用されていた天保暦などは太陰太陽暦のため、1年は12か月または(閏月を含む)13か月と一定ではない。
- ^ 古代バビロニアでは6か月を1年としていたという。そのため人の年齢は現在の倍以上で数えられた。聖書の登場人物が非常に長寿なのは、この習慣が反映したという説がある。(岡田ら (1994)、pp.300-301、太陰太陽暦、バビロニア暦)
- ^ この改暦のために90日もの閏日を設け、1年が445日となった。この年はアヌス・コンフシオニス(「乱年」の意味)と呼ばれた。(2005年の歴史/公益財団法人 国際文化交友会)
- ^ 日本では旧暦の明治5年12月3日を新暦の明治6年1月1日とし、これは明治改暦と呼ばれる。大隈重信の回顧録によると、これは月給制だった役人給与を、改暦で1か月を端折ることができ、当時逼迫していた財政を節約する狙いがあったという。(佐藤 (2009)、pp.55-56) また、旧暦の明治6年は閏年で13か月あったため、「2日間しかないために端折った明治5年12月分と、準備しないで良くなった明治6年の閏月分の、合わせて2か月分(の給与)を浮かした」とも言われる。(ブルーバックス「暦の科学」山崎昭、久保良雄 (1984)) なお、明治6年を西暦1873年とした改暦の置閏法の記述は、当時既に西洋で広まっていたグレゴリオ暦ではなくユリウス暦のものだったため(4年に1度の閏日を設けるのみ)、両者で食い違いが生じる西暦1900年を2年後に控えた1898年、明治政府は再度改暦を行い、グレゴリオ暦の置閏法に改めた (ブルーバックス「暦の科学」山崎昭、久保良雄 (1984))。従って、日本がグレゴリオ暦を採用したのは1898年ということになる。
出典
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1期 (明治18年卒)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 08:37 UTC 版)
「陸軍大学校卒業生一覧」の記事における「1期 (明治18年卒)」の解説
明治16年4月12日入校、明治18年12月24日卒業、10名 秋山好古 大将、教育総監(日本騎兵の父。日露戦争時の騎兵第1旅団長。)陸大は下から2番目で卒業 井口省吾 大将、朝鮮駐剳軍司令官 石橋健蔵 中将 仙波太郎 中将、優等 東條英教 中将、首席(ただし陸士卒ではない)優等(東條英機の父。) 長岡外史 中将(卒業席次は最下位) 藤井茂太 中将 山口圭蔵 少将、優等 榊原宰之助 歩兵少佐 山田一男 歩兵少佐
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1期(~1970年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:47 UTC 版)
「投下 (モンゴル帝国)」の記事における「1期(~1970年)」の解説
モンゴルの社会制度について世界で最初に体系的な研究を行ったのはロシアのウラジーミルツォフ(ウラジーミルツォフ1937)であり、彼の著作「蒙古社会制度史研究」に影響を受ける形で日本における投下制度研究は始まった。ウラジーミルツォフはモンゴル帝国の征服戦争にともなって「戦利品と同様に定住民地域の分配(=投下領)も行われた」が、定住民地域への支配は間接統治にとどまったと論じ、ウラジーミルツォフの見解の基本的枠組みは日本の研究者に継承・発展された。 ウラジーミルツォフに続く形で投下に関する研究を行ったのが小林高四郎(小林1939)や村上正二(村上1940)らで、彼らはウラジーミルツォフが十分に活用できなかった漢文史料を用いることで投下制度について考察を深め、その性格を「モンゴル的な封建制度」であると論じた。 また、小林や村上の研究を受けて愛宕松男は投下の本質は「分地」ではなく「分民」にあったことを指摘し、「李璮の乱」後の元朝では投下は名目的なものとなり、州県制度に基づく中央集権国家に移行したと論じた。愛宕以後、「元朝では伝統中国的な州県制度が施工され、投下は名目上のものに過ぎなかった」という認識は長く通説とされていた。 以上の議論は「遊牧国家」と「(中国的な)中央集権国家」、「部族封建制」と「中央集権制」といった2項対立を前提とし、前者(投下制度)から後者(州県制度)への移行が歴史の超勢であったと論じる点に特徴がある。後述するように、現在ではこのような既存の2項対立にこだわることなく、投下制度の独自性を強調する傾向にある。
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