山田一男
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/05 13:52 UTC 版)
山田 一男 やまだ かずお |
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生誕 | 1854年![]() |
死没 | 1898年7月5日(44歳没) |
軍歴 | 1879年 - 1898年 |
兵科 | 歩兵 |
最終階級 | 陸軍少佐 |
出身校 | 陸軍大学校 |
親族 | 長男:実 |
墓所 | 東京青山霊園墓地 |
山田 一男(やまだ かずお、1854年 - 1898年7月5日)は、明治時代の陸軍軍人。石川県出身。最終階級は陸軍歩兵少佐[1]。
略歴
石川県金沢市出身。のちに東京へ移住。
1879年(明治12年)2月、陸軍士官学校(旧2期)を卒業し陸軍歩兵少尉に任官[1][2]。
1883年(明治16年)4月に陸軍大学校(1期)に入学し、1885年(明治18年)12月に卒業し、参謀本部第1局に配属された[1]。
第5師団参謀在任中の1898年7月5日に死去[1]。墓所は東京青山霊園墓地。
一男は皇居三の丸尚蔵館に明治十二年明治天皇御下命「人物写真帖」『陸軍』に「陸軍歩兵少尉 山田一男 石川県士族 二十六歳」として写真が収められている[3]。
脚注
参考文献
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典 第2版』東京大学出版会、2005年。
山田一男(やまだ かずお)
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「ダイヤモンド (青山広美の漫画)」の記事における「山田一男(やまだ かずお)」の解説
バッティングピッチャー。背番号111。左投げ。34歳。童子の隠蔽工作に加担する。
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