打撃投手
(バッティングピッチャー から転送)
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打撃投手(だげきとうしゅ)は、打者の打撃練習のための球を投げる投手。
- ^ プロ野球のバッティング練習は苦手な球を練習しない? 今浪隆博のスポーツメンタルTV 2024/02/12 (2024年2月14日閲覧)
- ^ 打撃投手として所属する選手には「選手が引退後にそのまま在籍球団の打撃投手に就任」「移籍先で引退後に古巣へ打撃投手として復帰」「現役時代に一度も在籍経験が無かった球団へ打撃投手として入団」などのケースがあり、各球団や選手のそれぞれの事情で異なる。
- ^ サンケイ新聞(大阪本社版)、1972年4月14日(金曜日)の10ページに掲載された『南海ナイター』(ラジオ大阪の)全面広告に掲載された選手一覧では、他の投手と同じ扱いで掲載されていたため、登録だけ現役選手扱いだった可能性がある。
- ^ 特に、2011年に財政難で廃止されたNPBの選手年金は、10年以上の支配下登録を条件としていたため、支配下登録枠に余裕のある球団では条件を満たすために引退後も登録を継続したり、形式的に「現役復帰」させた例があった。
- ^ “阪神多田打撃投手 涙のラスト登板”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2012年10月10日). オリジナルの2016年7月20日時点におけるアーカイブ。 2018年4月19日閲覧。
- ^ ““松井秀の恋人”北野明仁さんの転職と引退会見前日に届いたメール”. zakzak(夕刊フジ) (産業経済新聞社). (2013年3月22日). オリジナルの2013年3月24日時点におけるアーカイブ。 2018年4月19日閲覧。
- ^ “打撃投手の年俸500~800万円 チーム最大貢献なら1000万円も”. Newsポストセブン (小学館). (2012年12月18日). オリジナルの2018年4月19日時点におけるアーカイブ。 2018年4月19日閲覧。
- ^ “守道監督が打撃投手で600球”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2012年11月17日). オリジナルの2016年7月20日時点におけるアーカイブ。 2018年4月19日閲覧。
- ^ “東尾修 引退後に米で投げ打撃投手として雇うべしと言われた”. Newsポストセブン (小学館). (2012年12月19日). オリジナルの2018年4月19日時点におけるアーカイブ。 2018年4月19日閲覧。
- ^ 『週刊ベースボール』 ベースボール・マガジン社、1969年3月31日号、13頁。
- ^ 『週刊ベースボール』、14頁。
- ^ 『朝日新聞』1969年3月15日、13面。
- ^ a b c 立浪和義『負けん気』文芸社、2010年2月20日、153頁。ISBN 978-4286088532。
- ^ “楽天・戸村打撃投手 打球額に受け頭蓋骨骨折 1~2週間入院へ”. www.sponichi.co.jp. 2020年2月22日閲覧。
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