走塁放棄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 08:13 UTC 版)
走塁放棄(そうるいほうき)とは、野球で、一塁に触れ、走者となったプレーヤーが、走路から離れ、次の塁に進もうとする意志を明らかに放棄した状態をいう。審判員に走塁放棄と判断された走者は、アウトになる。
- ^ 2015年以前は7.08(a)(2)
- ^ “甲子園で珍プレー 中ゴロと走塁放棄で“併殺”に”. 日刊スポーツ (2015年8月8日). 2015年8月14日閲覧。
- ^ 高校野球で起こった珍しい「走塁放棄」 、https://www.youtube.com/watch?v=xx9xKSikM4o
- ^ 2015年以前は7.08(a)の【注3】
走塁放棄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 10:18 UTC 版)
原は走塁放棄でアウトになったことがある。1988年9月4日の東京ドームでの対中日23回戦、6-1と中日がリードして迎えた9回裏一死一塁の場面で、原は上原晃の球を捉え、左中間に大飛球を放った。中日の左翼手豊田成祐が背走して、捕球したかに見えた。一塁走者の岡崎郁は二塁を回っており、慌てて二塁を経由して一塁に戻ろうとした。そして豊田から内野に返球されたボールが岡崎より先に一塁に転送され、一塁塁審がアウトを宣告し、試合終了かと思われた。しかし左翼外審の手沢庄司は、豊田の捕球は直接捕球ではなく、フェンスに当って跳ね返ったボールがグラブに収まったので「ノーキャッチ」と判定していた。したがって岡崎をアウトにするためには、岡崎自身へ触球する必要があった。一連のプレー中、原はアウトになったものと思い、一塁ベースから離れベンチに戻っていた。審判団が協議し、原を走塁放棄でアウトとし、二死一塁から試合再開となった(試合は6-1で中日が勝利)。この走塁放棄の一件は、原だけでなく岡崎、また中日の内野陣、さらに一塁塁審までの勘違いがあって起こった珍事であった。なお、原のこの打席の記録は、左翼への安打となっており、試合経過説明として走塁放棄でアウトとなっている。
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