規則制定の背景
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1959年5月26日、ミルウォーキー・カウンティ・スタジアムで行われたピッツバーグ・パイレーツ対ミルウォーキー・ブレーブスの試合で、延長13回裏、ブレーブスの攻撃。一死一・二塁で、ジョー・アドコックが右中間越えの本塁打を打った。二塁走者のフェリックス・マンティラは正しく本塁に還ってきたが、一塁走者のハンク・アーロンは、打球がフェンス手前に落ちたと思い、二塁に達してから一塁側ベンチに引き上げかけた。打者走者のアドコックは、二塁を回って本塁に向かった。ブレーブスはアーロンを走路に戻したが、アドコックと走順が入れ替わったため、アドコックがアウトになった。審判員はマンティラとアーロンの得点を認め、0 - 2x(サヨナラゲーム)としたが、翌日、会長裁定で、アドコックの追い越しが二・三塁間だったので本塁打を取り消して二塁打に訂正し、スコアを0 - 1xとした。 このプレイの反省から、本塁打を生かすため、走塁を放棄した走者に対して審判員が直ちにアウトを宣告するための規定として、規則7.08(a)(2)(2017年現在の5.09(b)(2))が設けられた。 本件に規則5.09(b)(2)を適用すると、アーロンが二塁に達してから一塁側ベンチに引き上げる様子が見られた時点で、審判員はアーロンに走塁放棄によるアウトを宣告できる。するとアドコックはアウトとはならず、本塁打がそのまま認められ、二塁打とされることはなくなる。
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規則制定の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 09:34 UTC 版)
2011年にMLBの公式戦において走者が本塁に走って来た際にサンフランシスコ・ジャイアンツのバスター・ポージー捕手が左足首靱帯を切る重傷を負った。ポージーと同年にはハンベルト・キンテーロ、ライアン・ドゥーミット、その前年にはカルロス・サンタナ、ジョン・ベイカー、ブレット・ヘイズなど、多数の捕手が負傷して長期離脱することが問題になっていた。これらをきっかけに本塁でのクロスプレイに関する議論が高まり2014年に禁止事項としてルールに加えられた。 NPBでは、2013年以降、阪神タイガースのマット・マートンの危険なタックルが問題視され、2015年7月の12球団監督会議でヤクルトの真中満監督が問題提起した。故障防止を望む選手会からも同じ意見が出され、NPBのゲームオペレーション委員会で検討された。2015年秋のみやざきフェニックス・リーグで試験的に導入され、2016年1月に正式に導入が決まった。
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