規則の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 05:48 UTC 版)
サッカーの規則は長い期間をかけて変化した。イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドにおいて使用されていた規則の間に差異が生じてきたころから、規則を統括する国際サッカー評議会 (IFBA) が設立された(後述)。 特筆すべき規則の改正には以下のものがある。 1866年 – パスの受け手とゴールとの間に3人の選手がいるならば、前方へのパス(フォワードパス)が許可された。これは、現代ラグビーで見られるオフサイド(英語版)から今日のサッカーで知られているオフサイドルールへ向かう変化の最初の一歩である。フェアキャッチに対してフリーキックが与えられるルールが廃止された。テープ(現代のクロスバーに相当する)がゴールに追加された; それ以前のゴールはどの高さでも得点することができた(今日のオーストラリアンフットボールと同様)。 1867年 – ゴールラインの後ろにボールが出た時の状況が単純化された。これによって全てのラグビーのような要素が取り除かれた。ボールをどちらのチームがタッチしたかにかかわらず守備チームにゴールキックが与えられるようになった。 1870年 – ボールの全てのハンドリングが禁止された(それ以前は、選手はボールをキャッチすることができた)。チームはハーフタイムにエンドを交換するが、前半に得点が生まれなかった時のみとされた。 1871年 – 「ゴールを守るため」にボールの手での扱いが許されるゴールキーパーのポジションの導入。 1872年 – ハンドボールへの罰として間接フリーキックが導入された。ルールの違反に対する罰則措置の初めての言及である。コーナーキックが導入された。チームは後半の間はゴールが決まった後にエンドを交換しなくなった。 1873年 – ボールをタッチに出した相手側のチームにスローインが与えられた(それ以前は、ボールがタッチに出た後に最初に触った選手に与えられていた)。ゴールキーパーはボールを「キャリー」(手で持って運ぶ)することが禁止された。 1874年 – ハンドボールを罰するためだけに以前は使われていた間接フリーキックが、ファウルプレーとオフサイドにも与えられるようになった。試合の審判(「アンパイア」)に関する初の言及。それ以前は、チームのキャプテンが一般的に規則を遵守することが期待されていた。 1875年 – コーナーキックあるいはキックオフから直接ゴールを決めることができなくなった。チームはハーフタイムにのみエンドを交換することになった。ゴールはクロスバーあるいはテープのいずれかを備えることになった。 1877年 – スローインをどの方向に投げ入れてもよくなった(それ以前は、今日のラグビーユニオンと同様に、タッチラインに直角に投げ入れなければならなかった)。この規則変更の結果として、シェフィールドフットボール協会のクラブは独自の「シェフィールド・ルール」を廃止して、FAの規則を採用することに合意した。これにより、FAのルールとシェフィールド・ルールとの統一が完了した。 1878年 – スローインからの場合、選手はオフサイドを取られるようになった。 1881年 – アンパイア間の議論を裁定するためにレフェリーが導入された。警告(「非紳士的な振舞い」に対して)と退場(暴力的行為に対して)が初めて規則に表われた。 1883年 – イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズの4協会の間で1882年12月に開かれた国際フットボール会議の結果として、ホーム・ネイションズの間で規則の統一がなされた。これは翌年にFAの規則へのいくつかの変更を必然的に伴った。スローインが最終的に現代の形に達し、選手は両手を使って頭の上からボールを投げることが必要になった。選手はコーナーキックからはオフサイドを取られなくなった。ゴールキーパーはボールを保持したまま2歩進めるようになった。ゴールはクロスバーを有していなければいけなくなった(テープの使用のオプションが除去された)。キックオフは前方にキックしなければならなくなった。タッチラインが導入された(以前は、旗がフィールドの境界線の目印だった)。 1887年 – ゴールキーパーの相手陣でのボールの手での扱いが禁止された。 1888年 – 審判によって中断された後にプレーを再開する手段としてドロップボールが導入された。 1889年 – 警告に値する振舞いを繰り返した選手は退場を言い渡されうるようになった。 1890年 – ゴールキックから直接得点することが認められなくなった。 1891年 – ゴールラインから12ヤード以内でのハンドボールあるいはファウルプレーに対するペナルティーキックが導入された。アンパイアはラインズマンに置き換わった。ゴールエリア、ペナルティーエリア、センタースポット、センターサークルに対するピッチ上のマーキングが導入された。 1897年 – 規則によって初めて各チームの選手数(11人)と各試合の長さ(90分、別段の合意がない限り)が規定された。ハーフウェーラインが導入された。グラウンドの最大の長さが200ヤードから130ヤードに短縮された。 1901年 – ゴールキーパーはいかなる目的のためにもボールの手での扱いが許された(それ以前は、「ゴールの守備のため」にのみボールの手での扱いが許されていた)。 1902年 – ゴールエリアとペナルティーエリアが現代の寸法となり、それぞれゴールポストから6ヤードと18ヤードに広げられた。ペナルティースポットが導入された。 1903年 – ハンドボールあるいはファウルプレーに対して与えられたフリーキックから直接得点することが可能になった(それ以前は、ペナルティーキック以外の全てのフリーキックは間接フリーキックだった)。審判は攻撃チームを有利にするためにフリーキックあるいはペナルティーを与えることを控えるようになった。選手は「審判に対する暴言」に対して退場となるようになった。 1907年 – 選手は自陣ではオフサイドにならなくなった。 1912年 – ゴールキーパーがボールを手で扱うことができる領域がペナルティーエリアに限定された。 1920年 – 選手はスローインからオフサイドをとられないようになった。 1924年 – コーナーキックから直接ゴールできるようになった。 1925年 – オフサイドルールに規定された守備側の人数が3人から2人に減らされた。 1931年 – ゴールキーパーはボールを持ったまま4歩(それまでは2歩)進んでよくなった。 1937年 – ペナルティーキックを行う選手の10ヤード以内に他の選手が侵入しないことを保証するために、ピッチのマーキングに「Dの字」が加わった。 1938年 – スタンリー・ラウスによって規則が完全に書き直された。選手は「深刻なファウルプレー」に対して退場となるようになった。 1953年 – 公式戦初の選手交代導入も、交代は負傷した場合のみで、最大2名まで(GKはいつでも、フィールドプレーヤーは前半のみ)。 1958年 – 公式戦で負傷時の選手交代は、ポジションに関係なく、いつでも最大2名までとなった。 1968年 – 負傷等の理由が無くても、公式戦では最大2名まで選手交代可能となった。 1970年 – レッドカードおよびイエローカードの導入。 1990年 – オフサイドルールのさらなる緩和: 最後尾から2番目の対戦相手と同じ水準位置の選手はオンサイドと見なれるようになった(以前は、こういった選手はオフサイドと見なされていた)。対戦相手の「決定的な得点の機会」を阻止する反則を犯した選手が退場となるようになった。 1992年 – バックパスに関する規則の導入。ゴールキーパーはチームメイトによって意図的に蹴られた後のゴールを手で扱ってはならなくなった。 1994年 – 公式戦では最大2名+GK1名交代可能となった。 1995年 – 公式戦ではポジションに関係なく最大3名交代可能となった。 1997年 – 規則が1938年以来初めて完全に書き直された。キックオフあるいはゴールキックから直接ゴールが得られるようになった。ゴールキーパーはチームメイトのスローインから直接受け取った後のボールを手で扱ってはならない。キーパーチャージ(ゴールエリア内のキーパーへのチャージを禁ずる)の反則の項目削除。 2000年 – ボールを手で扱っているゴールキーパーに関する4歩制限が廃止され、「6秒ルール」に置き換わった(ゴールキーパーは6秒を越えてボールを手で扱ってはならない)。ボールを保持しているゴールキーパーへのチャージの禁止。 2012年 – ゴール機械判定(ゴールライン・テクノロジー)導入およびゴール脇の追加審判採用の許可。 2016年 – キックオフをどの方向に蹴ってもよくなった。 2018年 – ビデオ副審(VAR=ビデオ・アシスタントレフェリー)制度導入及び公式戦では延長戦に限り4人目の交代許可、テクニカルエリアに、選手への指示目的の外部からの通信許可。 2019年 – 故意であろうとなかろうと、手によって得られたゴールが認められなくなった。攻撃側の選手はフリーキック時に守備側の壁を邪魔することができなくなった。交替選手はテクニカルエリアへ歩く代わりに最も近いゴールラインあるいはタッチラインからフィールドを離れなければならなくなった。ゴールキックは即座にボールをプレーに入れる。チームオフィシャルも警告あるいは退場となりうる。ペナルティーの間、ゴールキーパーはライン上に少なくとも片足を保たなければならない。ドロップされたボールは争われなくなり、代わりにペナルティーエリア内の場合は守備側のゴールキーパーに、その他の場合は最後にボールに触れていたチームに対してドロップされる。 2017年まで、その他のいくつかのスポーツとは異なり、サッカーでは試合中のビデオ判定は許可されていなかった。競技の規則と慣習がこれらを許可するよう改正されるべきかどうかについては、長年、重要な論争事項となっていた。ゴール機械判定も、以前は許可されていなかったが、2010年南アフリカW杯予選及び本大会(本大会では決勝トーナメント1回戦イングランド対ドイツ戦でフランク・ランパードの得点が認められない判定ミス等)やそれ以降の試合や大会でも、勝敗に直結するような誤審が続いたため、2012年7月5日にスイス・チューリッヒのFIFA本部で行われたIFAB特別会議で、満場一致で「ホークアイ(Hawk-Eye)システム」と「ゴールレフ(GoalRef)」の両方のゴール機械判定技術(ゴールライン・テクノロジー)採用等を決定した 2018年3月3日、スイスのチューリヒで国際サッカー評議会(IFAB)年次総会(AGM)を開き、ビデオ・アシスタント・レフェリー制度をサッカーのルールに正式に導入することを決定した。
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