かくし‐だま【隠し球】
隠し球
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/13 05:20 UTC 版)
隠し球(かくしだま)とは、野球で、走者に気づかれないように野手がボールを隠し持ち、走者が塁から離れた時に触球して走者をアウトにするトリックプレイを指す。隠し球という言葉は、公認野球規則では定義されておらず用いられてもいないが、一般には広く普及している。英語ではhidden ball trickなどと呼ばれ、こちらも野球規則などに定められているわけではない。
- ^ a b c d e f g 室井昌也 (2015年5月29日). “31年前の珍プレー 日本一有名な「隠し球」の主役たち”. 韓国プロ野球応援サイト ストライク・ゾーン. 2021年6月1日閲覧。
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- ^ 戦時中の野球ルール
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- ^ 「◆丸子修学館高校野球部、甲子園を目指す強力な指導体制!新コーチに宮崎郁男さん(64)=長野県上田市秋和=が就任! 同校野球部OBで甲子園出場経験 長野県 上田市」『東信ジャーナル』 2012年3月7日付
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- ^ 西武vs南海 11回戦 - 日本プロ野球記録
- ^ 4人がかり"史上最大の隠し球" 走者騙されベンチ唖然、気づいた「打者の憤りよ」 - Full-Count
- ^ Pitcher completely fools baserunner with elaborate hidden-ball trick - For The Win
- ^ Delaware Post One wins American Legion World Series - Delawareonline.com
- ^ 1936年、日本プロ野球初年度最初の公式戦、甲子園球場で春に行われた「第1回日本職業野球リーグ戦」の5月4日、セネタース×タイガース戦で記録した。同じ試合で大阪タイガース・藤井勇が日本プロ野球第1号ホームランを放っている(定本・プロ野球40年、報知新聞社、1976年12月、66頁)。
- ^ 高橋安幸 『伝説のプロ野球選手に会いに行く』 白夜書房、2008年、32頁
- ^ 東京倶楽部のメンバーとして大連実業団との準決勝延長11回裏に記録(小川正太郎、鈴木美嶺、松尾俊治 『都市対抗野球優勝物語』 ベースボールマガジン社、1956年、53頁)。
- ^ a b 竹中半平『背番号への愛着』あすなろ社、1978年、172頁
- ^ a b 【昭和野球列伝】隠し球の隠し場所は広島・木下の脇の下だった - サンスポ
- ^ a b c d “かつてはイチローも魔の手に…球界の“絶滅危惧プレー”?「隠し球」を振り返る”. BASEBALL KING. (2021年4月13日) 2021年6月1日閲覧。
- ^ 上宮・元木大介、隠し球で抗議電話。初甲子園で見せた「くせ者」の片鱗【二宮清純コラム】 - J:COMテレビ番組ガイド
- ^ オリ山崎浩、隠し球効果で1500万円増 日刊スポーツ 2009年12月4日
- ^ “プロ最後の「隠し球」も昔…名手の証言から迫る極意”. 日刊スポーツ. (2020年4月26日) 2021年6月1日閲覧。
- ^ プロ野球でボールをすぐ変えるのはなぜ?交換後はどうなるのかも! - スポーツなんでも情報クラブ
- ^ プロ野球から「隠し球」が消えて13年。隠し球はなぜ絶滅したのか? 今浪隆博のスポーツメンタルTV 2022/09/02 (2024年3月13日閲覧)
- ^ 野球記録調査団体であるレトロシートが、2007年頃まで調査結果をweb上に公表していた。
- 1 隠し球とは
- 2 隠し球の概要
- 3 隠し球に関する記録
- 4 派生
隠し球
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 07:40 UTC 版)
現役時代の1984年5月29日、対西武ライオンズ戦で、三塁走者の駒崎幸一を隠し球でアウトにした。この場面の一部始終は同年のフジテレビ「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」で取り上げられ、珍プレー大賞に輝き、以後同番組で繰り返し放送された。 なお、隠し球の陰で忘れられているが、その試合中に剥離骨折を起こし、途中2ヶ月ほど欠場している。開幕時の正遊撃手だった定岡智秋がアキレス腱断裂で長期離脱したため、三塁手だった久保寺雄二を遊撃手で起用、控えの立石が三塁手に入って半月後のことであった。立石の代役には元々三塁手だった山村善則を左翼手から回したが絶不調。結局、前年一塁を守っていた池之上格と立石が併用された。本来は二塁手の河埜敬幸がジェフ・ドイルの加入で中堅手へコンバートされ、一塁手のクリス・ナイマンも守備力は低かったため、1984年の南海は内野守備が安定せず、特にシーズンを通して固定できなかった三塁手は26失策、遊撃手は34失策という類を見ない拙守ぶりであった。
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