映像で記録された隠し球
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1984年5月29日の西武ライオンズ対南海ホークス第11回戦、1-0で迎えた2回裏一死二、三塁の局面で西武の打者行沢久隆が中堅方向に犠飛を放ち、三塁走者の石毛宏典がホームインして2点目を追加、二塁走者の駒崎幸一も三塁に進んだ。この時、南海の三塁手立石充男は中堅手河埜敬幸からの返球を捕球した後、投手畠山準に返球しないまま元の守備位置に付き、走者駒崎が三塁から足を離した一瞬の隙を突いて駒崎を刺殺した。 このプレイの特筆すべき点は河埜の返球から立石が隠し球を決めるまでの一連の流れが全て映像に記録されていた点である。当事者の立石の証言では、塁審の五十嵐洋一は立石が投手に返球していない事に気付いていたが、インプレイ中の為わざと気付いていない振りをしており、西武三塁ベースコーチの近藤昭仁も駒崎との会話に気を取られていてボールの行方に着目していなかったという。立石はまた、自身の意図に気付いた畠山と遊撃手の久保寺雄二が巧妙に時間稼ぎを行ってくれた事が成功の鍵であったという。一方の駒崎によると、近藤は自身のプロ入り初安打での出塁を考慮し、(広岡達朗監督の方針でもあった)無理な進塁狙いを諫める為に敢えて話し掛けてきた事、西武ベンチではコーチの森昌彦のみが立石が返球していない事に気付いていたが、コーチが選手のプレイに立ち入る事を気兼ねして積極的な注意指示が出せなかった事などが証言されている。 また、この映像は2015年時点で隠し球の手法が克明に記録されていたという点では、NPB史上唯一のものであるともされている。当時のカメラマンの間では「誰が最初に隠し球の完全な撮影に成功するか」が話題となっており、カメラマンの間では山崎裕之や元木大介らの内野手は「隙あらば隠し球を狙う曲者」として明確に認識されていたという。立石自身も二軍戦で数回隠し球を決めており、チームメイトからは「隠し球をいつでも狙っている」と認知されていたと証言している。 一連の映像はこの年の『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』で取り上げられ、みのもんたによる軽妙なナレーションも相まって非常に有名な一幕となった。また、この映像の解析から、攻撃側が備えるべき隠し球の防衛策についても研究が進み、2015年現在ではNPBでこのような隠し球が再度決められる余地はほぼ無くなったともされている。
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