日本・米国での隠し球
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 05:55 UTC 版)
日本においては太平洋戦争中の1943年に「武士道に反する」という理由で禁止されていた。 現在においても、日本の高校野球ではしばしば「正々堂々としたプレイではなく、高校生らしくない」との論調が見られる(例:ラストイニング)。ただし、高校野球特別規則でも特に禁止されているわけではないとされる一方、後述のように禁止になったようだとの意見もある。 高校野球史上初めて甲子園にて隠し球を決めたのは、1965年の第47回全国高等学校野球選手権大会初戦の丸子実業-天理高校戦にて、丸子実業の三塁手が成功させた事例とされる。この時国内が賛否両論となった中、王貞治は「頭の良いチームにしか出来ない事」と丸子実業のプレーを評したという。また、高校野球史に残る激戦と言われる1979年の第61回全国高等学校野球選手権大会の箕島高校-星稜高校戦において、2-2の同点で迎えた延長14回裏一死三塁の場面で、星稜の三塁手の若狭徹が隠し球を成功させてサヨナラゲームのピンチを逃れている。上宮出身で元巨人の元木大介によれば、1988年の第60回選抜高等学校野球大会の上宮対高知商業戦で元木が隠し球を決めたが、試合後に全国から上宮高校に「卑怯なことをするな」「きちんと教育しているのか」「高校生らしくない」などの苦情電話が殺到。以後、「どうもそれ以来、高校野球では隠し球が禁止になったみたいですよ」と元木は語っている。
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