西清孝とは? わかりやすく解説

西清孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/19 09:43 UTC 版)

西 清孝
基本情報
国籍 日本
出身地 兵庫県神戸市灘区
生年月日 (1966-04-08) 1966年4月8日(58歳)
身長
体重
181 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1984年 ドラフト外
初出場 1987年4月25日
最終出場 1999年10月15日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

西 清孝(にし きよたか、1966年4月8日 - )は、三重県生まれ、兵庫県神戸市灘区出身の元プロ野球選手投手)。

現在は、中日ドラゴンズ打撃投手を務めている。

来歴

南海・ダイエー時代

兵庫・東灘高校でエースとして活躍。1984年に地元関西の阪急ブレーブス南海ホークス阪神タイガースの入団テストを受け、唯一合格した南海に同年オフのドラフト外で入団[1]。同期入団に田口竜二湯上谷宏坂口千仙らがいる。

1987年4月25日の対近鉄バファローズ戦で初登板。この試合で村上隆行から初奪三振を記録。87年に左膝前十字靭帯断裂、89年には右膝半月板損傷と故障に苦しんだ。

1990年のシーズン途中に榊原聡一郎本村信吾との2対2の交換トレードで松井隆昌と共に広島東洋カープに移籍[1]

広島時代

1990年は2球団にまたがり11勝を挙げ、ウエスタン・リーグ最多勝を記録。

1993年戦力外通告を受け、一時は引退を考えたが、銚子利夫に誘われ(銚子の古巣である)横浜ベイスターズのテストを受け打撃投手兼任として入団[1]

横浜時代

1994年は選手登録はされたものの、実質打撃投手に専念したため二軍でも公式戦登板なし。現役復帰を目指していたため、打撃投手を務める際は打者の許可を取り正規の18.44mの位置から全力投球をしていた。

1995年は二軍でストッパー的役割を任されるなど、二軍ではあるものの36試合に登板し、選手として復帰を果たす[1]

1996年5月3日、対中日ドラゴンズ戦で移籍後一軍初登板。この年は22試合に登板。

1997年4月25日の対中日戦で、9回表6-6の同点の場面で5番手として登板。無失点に抑え、9回裏に石井琢朗の三塁打から無死満塁のチャンスを作り西の代打・井上純の犠飛でサヨナラ勝ちし、13年目にしてプロ初勝利を挙げる[1]。13年目での初勝利はプロ野球最遅記録。8月24日の巨人戦では2-2で迎えた9回表に登板し一死満塁のピンチを招くも無失点で切り抜け、9回裏に駒田徳広のサヨナラ犠飛で勝利し2勝目を記録。プロ通算勝利はこの2勝のみに終わったが、共にサヨナラ犠飛によるものだった。この年は58試合に登板し防御率2.55を記録。チームの2位躍進に大きく貢献する。オフの契約更改では1400万円アップでサイン。また、1995年の沖縄春季キャンプで知り合った那覇市出身の女性との結婚も発表し、「年俸アップ分で、嫁さんが喜ぶ冷蔵庫を買いたいですね」とコメントした。

1998年権藤博監督の中継ぎローテーションからは外れたが、点差が大きくついた試合など主に敗戦処理として活躍。チームの優勝に貢献し胴上げの輪にも加わる。日本シリーズでは登板はなかった。

1999年戦力外通告を受け引退。10月15日の対ヤクルトスワローズ戦(横浜スタジアム)で引退試合が行われ、最後は胴上げをされた[1]

引退後

横浜の打撃投手に転向し、2002年まで務める[1]

2003年からは中日に打撃投手として移籍[1]

2024年からは一軍用具担当。

人物

  • 愛称は「シャー」。東尾修の「トンビ」、北別府学(広島で同僚だった)の「ペイ」「ペー」と同じく、姓に方角の漢字が入っていることから麻雀の風牌が由来となっている。
  • かつては稲尾和久(元西鉄ライオンズ)など、打撃投手兼任から現役専念になる投手は数多くいたが、近年ではかなり稀である。また、現役から兼任になり現役専念になった例は希少である。
  • 人柄がいいことで知られ、選手からの信頼も厚く、ファンも多かった。そのため際立った実績は無かったが引退試合・胴上げが行なわれた。
  • 中日選手では特に小田幸平が西を相手に打撃練習することが多かった。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1987 南海
ダイエー
2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 14 2.1 4 1 3 0 0 1 1 0 5 5 19.29 3.00
1989 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 15 3.0 5 2 2 0 0 0 0 0 5 5 15.00 2.33
1991 広島 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 4 1.0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0.00 1.00
1993 5 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 28 5.2 8 3 3 0 0 2 0 0 6 6 9.53 1.94
1996 横浜 22 0 0 0 0 0 2 0 -- .000 116 26.1 32 1 10 0 0 16 1 0 21 18 6.15 1.59
1997 58 0 0 0 0 2 2 0 -- .500 219 53.0 43 9 15 5 5 30 0 0 17 15 2.55 1.09
1998 22 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 109 24.1 32 2 6 1 0 9 1 0 13 11 4.07 1.56
1999 12 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 59 12.2 22 2 1 1 0 5 0 0 9 9 6.39 1.82
通算:8年 125 0 0 0 0 2 5 0 -- .286 564 128.1 146 20 41 7 5 63 3 0 76 69 4.84 1.46
  • 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更

記録

背番号

  • 59 (1985年 - 1990年途中)
  • 41 (1990年途中 - 1993年)
  • 67 (1994年 - 1999年)
  • 86 (2000年 - 2001年)
  • 95 (2002年)
  • 124 (2003年 - 2023年)

脚注

出典

  1. ^ a b c d e f g h 打撃投手から現役復帰し、リーグ優勝に貢献した「苦労人右腕」とは”. 週刊ベースボールONLINE (2020年10月3日). 2022年7月12日閲覧。

関連項目

外部リンク


西清孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 03:14 UTC 版)

ササキ様に願いを」の記事における「西清孝」の解説

横浜の元投手(現:中日打撃投手)。背番号67(→124)。

※この「西清孝」の解説は、「ササキ様に願いを」の解説の一部です。
「西清孝」を含む「ササキ様に願いを」の記事については、「ササキ様に願いを」の概要を参照ください。

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