監督・コーチ
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「イナズマイレブン アレスの天秤/オリオンの刻印の登場人物」の記事における「監督・コーチ」の解説
趙 金雲(ちょう きんうん) 声 - 中村悠一 伊那国・雷門イレブンの「謎の中国人監督」。誕生日は7月20日。 元サッカー選手、監督含め数々の経歴を持っている。サッカーよりもクンフーが得意だが、サッカーが出来ないわけではない。試合中はスマホやゲーム機でゲームをしていることが多い。 相手チームのデータをよく調べ上げており、そこから作戦を立案し試合中にその時が来たら選手に指示を出す。 その適当な言動や、サッカーと関係ない特訓内容からメンバーから抗議されることもあるが、そうやって指示されたことが試合で実際に機能するなど、食えない所もある。 利根川東泉戦前に「のっぴきならない家庭の事情」といって、新必殺技の特訓内容と道成への手紙を彼に渡し、子分と共にチームを離れる。実際は利根川東泉戦では子分と共に観客席でクマゾウの着ぐるみでアイス売りに扮し、様子を見ていていた。雷門中が勝利した後に嬉しそうにベンチに駆け寄り、再びチームに戻る。 『オリオンの刻印』では雷門中監督時代のように色々な特訓を科したりする。一星の事情も大体把握していた。 数年前に中国でハオら身寄りの無い貧困街の子供たちを集め、まっすぐに生きることの素晴らしさを教えるために弟子として取りサッカーの指導をする。 サッカーの解放のため、オリオン財団を潰すことを目的にハオと活動していた。 中国戦直前に手術で休むという仮病でいなくなり、大頭面を被ったバレバレの変装で中国代表コーチの「チョウ・キントウン」としてイナズマジャパンの前に立ちふさがる。中国戦中は、なぜか皿回しを延々とやっている。シーンが切り替わるたびに、皿回しがパワーアップしている。両チームにまっすぐで気持ちのいいサッカーの楽しさをもう一度感じてもらう目的を終え、試合後、完璧な久遠の変装をし、報道陣の前で正体を暴露して挙句に皿回しをするという前代未聞の登場でイナズマジャパンに戻る。 ロシア戦前に行方をくらました明日人がオリオンの使徒になったとベルナルドから伝えられたが、メンバーには帰りが遅くなると嘘を告げる。 世界サッカーに対する批判的行動がサッカーへの侮辱とし、世界サッカー協会から引退という除名処分を受け、10年間スポーツ界の歴史から消えた過去があるとされていたが、実はオリオンによってサッカー界から消されており、オリオンに対し反旗を掲げていた所、新条にスカウトされ、協力することに。影山を自分と戦う相手は他にいないとイリーナの指示をハッキングしてすり替えてシャドウ・オブ・オリオンの監督として呼んだ。 亀田 幸則(かめた ゆきのり) 声 - 山岸治雄 伊那国・雷門イレブンのコーチ。雷門中の運営サイドに雇われた。 利根川東泉戦では金雲が不在のため、監督代理を務めることに。
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監督・コーチ
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「プロ野球スピリッツ2015」の記事における「監督・コーチ」の解説
ゲーム内に登場する監督・コーチは以下の通りである。太字はVPショップで「選手」として登録可能、もしくは選手として登録されている監督・コーチを示す。 ただし、打撃コーチはこのゲームではベンチ入りしていないので、選手として登録されている高橋由伸(読売ジャイアンツ)以外は名前のみの登場。 球団監督投手コーチ打撃コーチ守備走塁コーチ1(1塁コーチ)守備走塁コーチ2(3塁コーチ)ソフトバンク 工藤公康 佐藤義則 藤井康雄 鳥越裕介 飯田哲也 オリックス 森脇浩司 高山郁夫 佐藤真一 真喜志康永 佐竹学 日本ハム 栗山英樹 厚澤和幸 柏原純一 紺田敏正 白井一幸 ロッテ 伊東勤 落合英二 立花義家 松山秀明 清水雅治 西武 田邊徳雄 横田久則 宮地克彦 奈良原浩 河田雄祐 楽天 大久保博元 髙村祐 田代富雄 永池恭男 笘篠誠治 巨人 原辰徳 斎藤雅樹 清水隆行、高橋由伸 大西崇之 勝呂壽統 阪神 和田豊 中西清起 関川浩一 山脇光治 高代延博 広島 緒方孝市 小林幹英 新井宏昌 石井琢朗 玉木朋孝 中日 谷繁元信 友利結 波留敏夫 長嶋清幸 上田佳範 DeNA 中畑清 川村丈夫 坪井智哉 小池正晃 馬場敏史 ヤクルト 真中満 高津臣吾 宮出隆自 三木肇 福地寿樹
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監督・コーチ
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「第39回IBAFワールドカップ日本代表」の記事における「監督・コーチ」の解説
(かっこ内は所属;年齢。いずれも選出当時。) 小島啓民監督(元三菱重工長崎監督;47) 早瀬万豊コーチ(元日本生命監督;53) 西正文コーチ(元大阪ガスコーチ;51) 中島彰一コーチ(元住友金属鹿島監督;45)
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監督・コーチ
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「第34回IBAFワールドカップ日本代表」の記事における「監督・コーチ」の解説
(かっこ内は所属;年齢。いずれも選出当時。★はプロ経験者) 30 後藤寿彦監督(全日本アマチュア野球連盟選手強化本部ナショナルチーム強化部会長;48) 31 山下大輔コーチ★(全日本アマチュア野球連盟選手強化本部アドバイザー・野球評論家;49) 32 荒木大輔コーチ★(全日本アマチュア野球連盟選手強化本部アドバイザー・野球評論家;37) 33 應武篤良コーチ(全日本アマチュア野球連盟選手強化本部アドバイザー;43)
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監督・コーチ
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「MAJORの登場人物」の記事における「監督・コーチ」の解説
大木 明(おおき あきら)<佐々木(ささき)> 声 - 広瀬正志 W杯日本代表監督。大阪ブルズを長年率いた日本を代表する知将で、選手との信頼関係に裏打ちされた冷静な采配が特徴。試合などではいつもサングラス(アニメでは眼鏡)を着用している。柔らかい関西弁を話す。 吾郎のことを実力・性格共に気に入っており、終始「ゴロー」と呼んでいる。 茂野 英毅 W杯日本代表ピッチングコーチ。 詳細は「茂野家」を参照。 徳山(とくやま) 声 - 金光宣明 W杯若手選抜監督。 根本(ねもと) 声 - チョー コジロー専属の打撃投手で、一時的な吾郎の上司。 吾郎のことをあまり快く思っておらず、何かにつけて吾郎を叱り飛ばしていたが、吾郎が松尾のバッティングピッチャーをする際に「投手は打たれてこそ解ることを念頭に置いてバッティングピッチャーをやってみろ」と助言をしたり、吾郎と松尾との対戦時、コジローと自分のアドバイスを小細工にしか思っていないボールの威力と度胸を持っていると認めた。
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監督・コーチ
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「プロ野球スピリッツ2019」の記事における「監督・コーチ」の解説
拡張アイテムで購入できる監督・コーチは以下の通りである。購入すると、監督やコーチを「選手」として登録できる。 球団監督投手コーチ内野守備走塁コーチ外野守備走塁コーチ2019年度データ西武 辻発彦 小野和義 黒田哲史 佐藤友亮 ソフトバンク 工藤公康 倉野信次 本多雄一 村松有人 日本ハム 栗山英樹 木田優夫 緒方耕一 川名慎一 オリックス 西村徳文 高山郁夫 勝呂壽統 佐竹学 ロッテ 井口資仁 吉井理人 根元俊一 大塚明 楽天 平石洋介 伊藤智仁 酒井忠晴 笘篠誠治 広島 緒方孝市 佐々岡真司 山田和利 廣瀬純 ヤクルト 小川淳司 田畑一也 土橋勝征 河田雄祐 巨人 原辰徳 宮本和知 元木大介 鈴木尚広 DeNA アレックス・ラミレス 三浦大輔 永池恭男 上田佳範 中日 与田剛 阿波野秀幸 奈良原浩 工藤隆人 阪神 矢野燿大 福原忍 藤本敦士 筒井壮
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監督・コーチ
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登場の多かった実在人物としては、まず、野村克也以降のホークスの歴代監督(外国人であるドン・ブレイザーを含む)が挙げられる。野村とはホークス監督を解任された後のロッテや西武の捕手として、更にヤクルトや楽天の監督として対戦するエピソードもあった。特に野村の移籍後、最初の対決では景浦は野村の教えを守った形で1点差に迫る長打を放ち、3塁ベース上で思わず落涙する。その後も随所で登場しては作者や安武の野球観と合致する、或いは大きく影響を与える様な至言、名言を口にする等、チームは離れても思いを同じくするかの様な表現がされている。義弟の小林満を捕手転向させた事もある。 その野村と行動を共にする事が多かった名打撃コーチ・高畠導宏(康真)も貴重なバイプレイヤーだった。1974年の打撃コーチ就任後、野村の判断を助ける発言を数多くしている。後に野村と袂を分かった後、福岡移転後のホークスに復帰し、再び景浦と行動を共にした後、現実の世界では教職に転じ、ここでも指導者として手腕を発揮した。この他、歴代監督やその下で働いたコーチ陣も多数取り上げられた。前述の野村以外では、長期政権となった王貞治の登場頻度が断然高く、その他にも田淵幸一や根本陸夫、更には杉浦忠、穴吹義雄等の登場頻度も高かった。そしてほとんどの監督は「大虎」にも足を運ぶ描写があった。また、野村を含む歴代監督数名が(杉浦忠を悼む目的から)「大虎」に一堂に会した事もあった。
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監督・コーチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 01:50 UTC 版)
他球団の監督としては、阪急や近鉄を率いた西本幸雄が初期の名脇役だった。オールスターや日米野球で景浦を采配するエピソードもあった。近鉄監督を勇退する際に描かれた、東西対抗戦で景浦も含むパを代表する名選手たちに胴上げされる逸話は、勇退前の最終戦で近鉄と阪急の双方の選手から胴上げされた実話に基づいている。阪急・日本ハムで監督を務めた上田利治も登場頻度が高い。 南海OBである日本ハムの大沢啓二監督もしばしば登場し、漫画の中でもべらんめぇ調の台詞を連発する。また、大沢の二度目の監督就任の際には、繰り出した4投手に意図的に景浦に得意のインコースの球を投げるように指示し、そこから景浦攻略法を探ろうとする知略家ぶりも見せている。また、ロッテの金田正一監督も頻繁に登場し、当時人気があった「カネやんダンス」も作品内で披露している。大沢監督も金田監督もパ・リーグを盛り上げようと真摯に努力していた人物であり、本作品でも侠気(おとこぎ)のあるキャラクターとして好意的に描かれている。後に福岡ダイエーホークスの監督にも就任する根本陸夫のバンカラな気風を物語るエピソード(法政大学在籍中の根本に窮地を救われた少年が大きくなって飲み屋を経営し、根本と旧交を温め、その場に景浦も呼ばれる)もあった。西武では森祇晶の登場頻度が高く、森は「恋の宿」にて景浦と対話をするエピソードもある。一方、その前の西武監督だった広岡達朗は森ほどでの登場頻度はないものの、よく登場していた。 近鉄、オリックスの監督を歴任した仰木彬も景浦と共に酒を飲むことが多く、インボイスSEIBUドームで行われたオールスター戦後「酒の店」にて共に酒を飲むこともあり、仰木が日本各地の酒を見て感激した話も描かれた。2006年のシーズン、景浦はそのことを思い出しながら福岡Yahoo!JAPANドームで行われた対オリックス戦にて打席に立ったこともある。仰木は初めてメインで登場した時、野茂にあわや死球という速球を投げられて打席で仰け反って倒れた景浦を心配して駆け寄ってくる場面があった。ちなみに、大沢や仰木らは大虎を訪れて景浦と酒を飲んだ(彼らは景浦を自球団に勧誘しに来た。またこの時、ロッテ監督時代の八木沢荘六も来た)こともある。他に伊原春樹(西武、オリックスなど)も登場の多かった人物で、そのコーチ術などが取り上げられたこともある。 こうしたパ・リーグの監督たちと比べると登場回数はさすがに少ないが、巨人の長嶋茂雄も本作の重要なターニングポイントで登場しては「いわゆるひとつの」調の「長嶋語」をさらに水島流に改変したような名台詞を数々発して、「大虎」で「失敗は成功のマザー!」と叫ぶなど、強烈な印象を残している。史実において、一時期マスコミの前で不仲を演出していた長嶋と野村の仲は、談笑するシーンが多いことから作品中では良好とされている。また、意外なところでは広島・大洋の古葉竹識監督も景浦の理解者として稀に登場する。実は1973年の時点で古葉は南海のコーチを務めており、1年だけだが景浦と接点がある。このため、コーチとしてベンチ入りしていた1977年のオールスターでは出場選手に景浦について話す場面が見られた。更に、後に福岡ダイエーホークスの監督にも就任する王貞治が巨人の現役選手・助監督・監督を務めていた頃にも登場したことがあり、巨人に移籍したばかりの山本雅夫との掛け合いで景浦を欲するような発言をしたり、その前にも景浦に興味を示す言動をしたことがある。これらは後に王がダイエーの監督に就任することから現実のものとなる。 他球団では日本ハムのコーチ、選手が目立つ。1976年~79年にピッチングコーチを務め満を育て上げた南海OBの新山彰忠(75・80年の南海コーチ時代にも登場)がおり、監督では前述の大沢の他に近藤貞雄も日本ハム監督時代によく登場し、タイムをかけないで抗議する間に失点してしまうシーンや高熱を出してオールスター戦の出場が危ぶまれる景浦に「鰻酒」を飲ませるなどの描写があった。また、日本ハム監督時代の土橋正幸もメインを張ったエピソードがある(土橋はヤクルト監督時代にも小林満との絡みで登場したことがある)。高田繁も日本ハム監督当時に少しだけ登場があった。 外国人では、ロッテの監督時代のボビー・バレンタインや日本ハム監督当時のトレイ・ヒルマン、オリックス監督当時のレオン・リーなどが登場したことがある(レオンはロッテでの現役時代にも登場)。特にヒルマンは景浦相手に打撃投手を務めて弱点を探り出そうとする描写もあった。
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監督・コーチ
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「かっとばせ!キヨハラくんの登場人物」の記事における「監督・コーチ」の解説
モリ監督(森祇晶) 西部ライアンズの監督。現実とは違い非常に短気で、ツッコミ専用のハンマーを所持している。また、ふざけていると噛みつく(特にキヨハラに)。とても厳しい監督で、そのため選手からの不満も多く、よくメガネデブと陰口を叩かれている。だが、キヨハラの私生活を監視するためにぬいぐるみに化けてキヨハラのマンションに忍び込む、成績の悪いキヨハラをサンタのトナカイにしてクドーの家に行かせるなど、やっていることは茶目っ気がある。一人称が「わし」だったり「オレ」だったりする。普段は緻密な采配をとるが、たまに采配でボケをかます(例:キヨハラをサードへコンバートする際、不在となったファーストを決めるのを忘れる、など)。敵が多く、特にカイアンツの監督とは(作中では2回変わったが)全員と仲が悪い。とはいえ、年がら年中いがみ合ったりしているわけではなく、普通に会話する時もある。 連載開始時から終了までずっと西部の監督だった。ただし、一度だけキヨハラが見た夢の中では、コバ監督になって大洋のユニフォームを着ていたことがある(その時のモリ監督はオーだった)。 別作品の『ベロベロベースボール』では主役的存在。 一度だけだが、沢田ユキオ「スーパーマリオくん」11巻の、ワリオの森編の最初のところにも登場したことがある。 背番号は81。 ドイコーチ(土井正博) 西部のコーチ。海辺の練習でライアンズの選手達に「波乗り千本ノック」を見舞う一人として登場した。 背番号は87。 クロダコーチ(黒田正宏) 西部のコーチ。モリ監督の参謀。海辺の練習でライアンズの選手たちに「波乗り千本ノック」を見舞う一人として登場した。その後、1990年タイエーへ移籍。本作ではほとんど出番がなかったが、『ベロベロベースボール』では顔が変わり、タブチ監督とのからみが描かれている。 背番号は一貫して85。 クロエコーチ(黒江透修) 西部のコーチ。1990年就任。モリ監督の側近。1993年の日本シリーズ(実際はヤクルトだが、作中ではカイアンツが対戦相手)では、クワタが調合した薬の力で巨大化したマツイの前に唖然としているモリ監督を介抱していた。『ベロベロベースボール』ではギャグもかませる、お茶目な一面も。 背番号は85。
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監督・コーチ
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「キャプテン翼の登場人物」の記事における「監督・コーチ」の解説
ジョアン・アラゴネス ロベルトの現役時代の監督であり、恩師でもある。無印第1巻に名前のみ登場だったが、【ライジングサン】にてU-23ブラジル代表監督となって登場する。 ロベルト 本郷(ロベルト ほんごう) 声 - 田中秀幸 / 堀秀行 / 宮本充、三田ゆう子(少年時代) / 小西克幸経歴:サンパウロCF - 南葛小サッカー部監督 - サンパウロジュニアチーム監督 - ブラジルユース監督 - U23ブラジル代表コーチ ポジション:FW 誕生日:11月20日 血液型:A型 日系ブラジル人。翼の師匠にしてもっとも尊敬する人物。元ブラジル代表の10番でセンターフォワード。網膜剥離を患い、海に飛び込んで自殺を図るも大空広大に助けられ、友人関係になる。その縁で浜松にある大学病院の眼科医を紹介され、精密検査・診察を兼ねて訪日し、大空家にしばらく居候する。大空家への訪問時間が深夜だったため、泥棒に間違えられた奈津子に水をぶっかけられた。その後は翼のブラジル留学を手助けしたりと常に陰から見守り、時に厳しく接する。小学生編では翼をブラジルに連れて行くと約束するも、自分の身勝手で家族を離れさせることに負い目を感じ始め、また、翼を一流のプロに育て上げる自信がなくなっていったため、結局一人でブラジルに帰国する。日本を去るとき、翼に1冊のノートを残した。この中にはサッカーにおける様々なアドバイスが記され、このノートをきっかけに翼はFWからMFに転向、ドライブシュートを身につけた。帰国後はサンパウロFCの少年部門の指導者として活躍。その後、ジュニアユース大会期間中に片桐の再三の説得により翼をブラジルに連れて行くことを決意し、決勝戦終了直後に再び翼の前に現れ、改めてブラジルでサッカーを教えることを約束した。ブラジルに渡った翼を指導し続けた。【ワールドユース編】ではブラジルユース代表の監督に就任するため一時期翼と決別し、チームを準優勝に導く。その後は【ROAD TO 2002】においてヨーロッパに挑戦する翼を後押しした。【ライジングサン】ではジョアンが監督を務めるU-23ブラジル代表のコーチに就く。名言は「Viva Tsubasa!(ビバ・ツバサ!)」。 劇場版『世界大決戦!! Jr.ワールドカップ』では、南米選抜チームの監督として日本代表と対戦する。愛弟子であるカルロス・サンターナと翼との対戦を心待ちにいていた。 テクモ版では「II」-「IV」ではブラジル代表の監督に就任し、「V」では日本代表の監督に就任する。「V」では、貧しい家に生まれたロベルトをジョアンが育ててくれたという設定になっており、網膜はく離の原因もジョアンの恩に報いるために無茶なプレイを繰り返した結果とされた。 ルディ・フランク・シュナイダー(ドイツ) 声 - - / - / 木内秀信 / 大川透(RONC)経歴:ハンブルガーSV選手 - ハンブルグ監督代行 - FCバイエルン・ミュンヘンコーチ - ドイツユース監督 - ミュンヘン(アニメ第3作はロードブルク)監督 - U23五輪代表監督 カール・ハインツ・シュナイダーの父親。監督代行時代スター選手(シュミット)との間にトラブルが起き、チームを解雇され、家族と別居していた。その後は港で荷物の積み下ろしの仕事をしていたが、ジュニアユース開催時に現役時代のライバルであり、バイエルンのフェルスター監督の誘いでミュンヘンのコーチに就任、それ以降はカールとともに親子鷹として栄光をつかみ続けている。なお、上記のシュミットの欠点(スタミナ不足とプレイの単調さ)を既に見抜いていたため、後に現れることになる。 名前は【ワールドユース編】の当初は「ルディ・シュナイダー」であり、【ROAD TO 2002】では「フランク・シュナイダー」であった。現在の公式設定としては、両方をつなげて「ルディ・フランク・シュナイダー」となっている。 ギュンター(ドイツ) ミューラーがどのチームにも所属していない時から指導を行っていた人物。崖の上から岩を落とすなどの過激な特訓を課す。 【ライジングサン】にてドイツ代表のキーパーコーチとして登場した際に名前が明らかになった。 ディエゴ・バルバス(アルゼンチン) 声 - 塩屋浩三 / - / 木内秀信 / 楠見尚己(RONC)経歴:アルヘンチノス監督 - アルゼンチンジュニアユース監督 - 五輪代表U-23監督 ロベルトの選手時代の旧友。アルゼンチンJr.ユースが敗れた後、選手と共に観戦のためフランスに残っていたところロベルトと再会。翼をアルゼンチンにスカウトしたい旨を告げるが、それがロベルトにも、今度こそはと翼をブラジルに呼び込む決意を与えた。 サマン(タイ) 強豪タイユースをまとめ上げ、若林も「名将」と一目置く存在。しかし若林や葵といった強力な選手が登場すると弱腰になり守りの作戦を出し、選手の反感を買う。それでも、果敢に攻め立てようとする選手たちを認め「お前たちの力で若林からゴールを奪ってみろ」とエールを送った。見上と同じくドイツにコーチ研修に行っている。喫煙者。 ホセ・ペレス(アルゼンチン) サウジアラビアユース監督。オワイランを擁し、攻守ともに優れたサウジアラビアユースを率いた。全日本ユースに敗れた際、翼に対してディエゴ・マラドーナが出現した時と同じ衝撃を覚えたという。 マチルダ 尽之助(マチルダ じんのすけ) 日系ウルグアイ人で日本語が話せる。ウルグアイ国籍。惨敗を喫し解任されたルベンスに代わってウルグアイユース監督に就任した。猛特訓の末にビクトリーノ以外のメンバーを一新、火野を含めた新たに招集し短期間で強力なチームを作り上げた。ワールドユース本線でも直前まで合宿に専念、レセプションパーティーにも参加せず、開幕戦の最中に来日するほど。また、日本戦前日でさえも練習は夜間にまで及んだ。 【ROAD TO 2002】セリエC1・レッジアーナの監督に就任した。なお、セリエBと勘違いしていたとのこと。ユベントスで早々に大きな壁にぶちあっていた日向に移籍の話を持ちかけた張本人。火野龍馬にも声かけたがCなら嫌と断られている。 ルベンス(ウルグアイ) マチルダの前任のウルグアイユース監督。ブラジルとの練習試合で10対0で惨敗した責任を取らされ、監督を解任される。 日系人である火野に対して露骨な差別意識を抱いており、日系人であるという理由だけで代表に選抜しなかったことで火野の怒りを買い、またビクトリーノからも「選手を見る目が無い、文句ばかり言う腰抜けしか選ばなかった」と批判されて、彼の人選者はマチルダの猛特訓にてビクトリーノ以外の全員が脱落している。 ハンセン(スウェーデン) 海賊のような顔立ちをした監督。相手選手個々のデータを完全に分析する「ビクトリー作戦」や、選手たちを海外リーグに送り込み相手国を研究させる「バイキング作戦」を起案した。 エリック・ファンサール(アニメ第3作はエドワルド)(オランダ) 声 - - / - / 秋元羊介 FCバルセロナ監督で「知将」・「策士」と呼ばれ、これまで数々の栄光を築き上げてきたらしいが、それらしい描写はあまり見られない。トップ下を希望した翼にBチーム行きを告げるが、それは翼を様々なポジションでプレイさせた結果「リバウールには敵わないが、やはりトップ下でプレイして欲しい」という気持ちの表れだった。しかし、翼がBチームですさまじいまでの活躍を見せ、またトップチームの旗色が悪くなったことと、リバウールの負傷などが重なったため、翼をトップチームに戻す。モデルはルイ・ファン・ハール。 日本の漫画を読むのが趣味で、初登場時には『キャプテン翼』のスペイン語版を読んでいた。翼に好きな『ドラえもん』の秘密道具を尋ねたことがあり、監督が好きな道具はタケコプター。 【ROAD TO 2002】の終盤から進退問題が示唆されており、『DREAM FIELD 短編集』1巻に収録されている「翼VS岬」の最後のページにて、バルセロナの監督がフランク・ライカールトということになっていたが、本編では現在でも続投しており、今後の去就については不明。 テラパスケ R・マドリッドの監督。選手を見る目があり、コーチらがナトゥレーザのプレイを軽視していたのに対して素質を見抜き直々に入団交渉を行い、背番号0を与える。ナトゥレーザの身勝手なプレイは叱責する他、ファンサールとは犬猿の仲で、トップ下に拘るプレイスタイルを古臭いと罵倒する。 ゼーマン(ドイツ) 所属:ハンブルグ(アニメ第3作はグリュンバルト)監督 ハンブルグの守護神であった若林に大きな期待を寄せていたが、B・ミュンヘン戦にて引き分けを狙った自らの戦術に反してシュートに行き、逆にゴールを奪われた若林に怒りを覚える。その後は表面上は外国人枠を理由に3試合連続若林を起用しなかったが、ジャーナリストたちの間では「二人の関係に亀裂が生じたのでは」と噂になっており、若林は最終的に移籍を決断する。 カルロ・モネッティ(イタリア) ユベントスの監督。コーチ陣はもちろん選手自体の意見も大事に思っており、「データに関係なく、ゴールを決めてくれるストライカーを試合で使う」というのが主義で、紅白戦で大活躍した日向をトップチームのスタメンに起用した。その後レッジアーナから届いたレンタル移籍の判断も日向本人に任せた。 ヒース・コールマン(オーストラリア) オーストラリアフル代表とU-22を兼任する知将監督。 メンデス(スペイン) 声 - - / - / 岸祐二 FCバルセロナチームドクター。チームの選手たちからはよく信頼されている。翼とも交流を深め、リバウールを本気にさせたことを関心したり、Bチーム落ちした翼を立ち直らせた。 マッツァンティーニ(イタリア) 声 - - / - / 加瀬康之 ユベントスフィジカルコーチで通称マッツ。各選手のフィジカルを管理しているが多少頑固な性格で、日向のデータを見て「こんなバランスの悪い者はとてもサッカー選手とは思えない。日本でどんな生活・トレーニングをしてきたのか」と発言し、身内を批判された日向の怒りを買うが、何だかんだ言っても日向とは似たもの同士で馬が合っており、監督も指摘しているほか、日向の捨て駒的な起用方についてカルロにクレームをいれている。トップチームの試合で完膚なきまでに叩きのめされても顔を下げない日向の根性を認め「一緒に肉体改造をしよう」と肩を叩いた。その後レッジアーナに移籍する日向にバランストレーニングの本を授け、日向からは「お礼にゴールを決めた数だけピザをおごる」と言われ、実際にピザを貰っている。しかし食べ過ぎにより、太り気味になってしまい、妻にも注意されたため、「特大サイズではなく低カロリー最小サイズで」と注文している。 日向のために最終戦直前に日向の住居を訪れ身体測定の機材を持ち込んで身体チェックをしている。
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監督・コーチ
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牛島 虎男(うしじま とらお) アタックス監督。背番号:1。 「どぐされ」共を率いる熱血監督。スキンヘッドでもみ上げから顎にかけて髭を生やす。スキンヘッドにしている理由は、8連敗の責任を取ったと1話で語られているが、その後も髪を伸ばさないままにしている。 いつもポケットに辞表を忍ばせていた。なお夫人がいたが、彼の遠征中に亡くなっている。 時々、関西弁が口をついて出てくることがある。 黒木 俊(くろき しゅん) アタックスヘッドコーチ。 ジョー暁と共にアタックス入り。隻腕の人物である。牛島が出場停止処分を受けた際には、監督代行を務めた。
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監督・コーチ
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井狩 治 (いかり おさむ) 声 - 宮崎吐夢 監督で、ミー太郎のニャイアンツ入団を決めた張本人。背番号は「888」。毎試合指示を飛ばしながらミー太郎を優しく見守る。身長173 cm。 サブマネジャー 一軍のサブマネージャー。ミー太郎を獲得した井狩監督に対して小馬鹿にした態度を取り、当初はミー太郎をも単なる猫と扱っていた。回が進むにつれてきちんとした対応で接するようになったものの、以前の行いが原因でミー太郎から敬遠されている。身長167 cm。 玉見 輝世(たまみ てるよ) 一軍投手コーチ。投球指導をしながら、ミー太郎らと共に新たな「魔球」の開発を行う。字、特にサインが極めて汚い。 大神(おおかみ) No.452で登場。一塁ベースコーチ。
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監督、コーチ
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近藤昭仁 横浜(1993〜1995年)→ロッテ(1997年・1998年)の元監督。背番号は60→81(ロッテ)。かなりの嫌われ者。 無死(1死)三塁の時は必ずスクイズバントの指示を出す(自称「ノーアウトかワンナウトでランナー3塁のときはスクイズしないと死んじゃう病」と揶揄されている)。 当漫画はベイスターズ低迷期に連載がスタートしているが、みずしなはチームに対して批判的な事をほとんど書かず、同じくベイスターズファンのやくみつるに「甘い」と揶揄される事もあったが、近藤に関してのみは「素人が見ても予想できる」等と近藤の監督としての性格を大げさに表現するためとはいえ、結果的に厳しく批判をしている。 大矢明彦 横浜元コーチ→監督(現:フジテレビ・ニッポン放送野球解説者)。背番号は75(コーチ)→81(監督:1996・1997年)→85(同:2007年〜)。 若さを強調しているが、40代後半(就任当時)だったので体がついていかなかった。 いつも敬語。緊張したりウソをつくと頬が膨れる。復帰後は膨れる頬が監督室全体に及び、選手(三橋直樹)が潰されるというハプニングも。 1997年、チームを2位に押し上げたが辞任。2007年に監督復帰。しかし2009年に突然無期限休養に入りそのまま退任。 権藤博 横浜元コーチ→監督(1998〜2000年)(→中日コーチ)(現:東海テレビ・東海ラジオ野球解説者)。背番号は72。 近藤とは違い、決して選手にバントはさせない。 「監督と選手の間はなくすべきだ」ということで、自分のことを「権藤さん」と呼ばなければならず、「監督」と呼ぶと罰金1,000円を徴収する(たまに消費税も取ったりする)。 その後右手を頬に当てるポーズが定着した(優勝直前には緊張のためか、右手の代わりに足を頬に当てていたこともある)。 1998年にチームを38年ぶりの優勝、日本一に導く。 森祇晶 横浜の元監督(01・02年)。背番号は81。大リーグ編・『ベイスタ流』のみ登場。 近藤同様にバントを多用するように言われたため選手達は近藤時代のトラウマを思い出してしまった。 西武ライオンズを8年間で7回優勝に導く実績を持つ策士でもあり、スタンドの空席の存在を観客に「仕方ない」と思わせるために、チケットの販売委託をバイロム社(2002 FIFAワールドカップのチケット販売を担当したが、実際の試合で多数の空席が出るなど数々の問題を起こした)に依頼するということまでやってのける。 また、自分のファッション(髪型・メガネなど)を人に勧めたりもする。 山下大輔 横浜ヘッドコーチ→復活版で監督(03・04年)(→東北楽天初代ヘッドコーチ→2軍監督・編成部長→ロサンゼルス・ドジャーズ傘下ルーキーリーグチーム守備コーチ→横浜DeNA2軍監督)。背番号は80(コーチ)→86(監督)→77(東北楽天コーチ)→88(2軍監督)。 頭髪がない(本人はそれほど気にしていないようだが、監督就任初期のころはかつらをかぶっていた)。また佐々木復帰の頃からあごひげを生やしていた。 普段は温厚だが怒らせると顔を回転・シャッフルし、恐ろしい顔で怒る。しかし選手はその後慣れてしまう。 さらに回転を増すと顔のパーツが取れ、でたらめにそれをつなぎ合わせて怒る。しかしそれでも慣れてしまう。 暗い場所では目をライトの代わりにする。 牛島和彦 横浜の元監督(2005・2006年。現:CBCテレビ・CBCラジオ野球解説者)、背番号は72。ベイスタ流のみ登場。 目が細く、口がくの字状になっている。 鼻の穴に心眼を持っていたり、あまりにも寒いダジャレでマーク・クルーンを凍らせたりするも他の監督に比べ印象は薄め。 尾花高夫 横浜の元監督(2010・2011年)→巨人2軍(2013〜2015年)→巨人1軍(2016・2017年)コーチ。(現:ヤクルト2軍投手チーフコーチ)。背番号は87→(77)。 『ベイスタ流』で登場。監督就任の際にヒゲ・長髪禁止令を出し、ヒゲ・長髪の選手やフロントを殴り飛ばしていた。連載末期に登場したため、セリフを1度も発せず、1回だけの登場だった。 斉藤明夫 横浜の投手コーチ(1996・1997・2007年)→千葉ロッテ1軍(2013年)→2軍コーチ(2014年)(現:フジテレビ野球解説者)。背番号は77→85。 外見は優しいが、実体はその仮面の下に冷酷な悪魔の顔を持つ鬼コーチ。 鬼コーチとしての超一流の扱きは現役時代に身につけたものらしい。 何かしら行動や言動をするたびに、悪魔のようなニヤリ顔を発する。小桧山雅仁と加藤将斗が投げ込みをしているところに「投げ込みは疲れるからな。向こうがやめたら休憩していいぞ」と優しく声をかけるも両者に同じ事を言い「永遠に投げてろ」と呟いて騙したり、トイレから出る際にトイレットペーパーを持ち去るなど、まさしく悪魔のような行動、言動を連発している。 96年のオールスターの監督推薦の際、投手だけで28人になってしまったところに、大矢監督に「佐々木と隆と佐伯だけで充分やろが」と助言するなど、いざと言う時に鬼コーチの一言が役に立つこともある。 1996年の就任当初は、意味なしポーズで登場することがあった。 弘田澄男 横浜、1992〜97年打撃コーチ→ヘッドコーチ(背番号71)、2007年-ヘッドコーチ(72)→四国アイランドリーグplus・高知監督)。 大矢監督の頬を膨らませる癖を見て「敵に見られたら不都合」と山下に返答するだけのシーンで登場。みずしな本人も、弘田の身長が163cmと実際の万永や田中一よりも低いためか描写に自信がなかったらしく、コマの外でわざわざ「弘田コーチだ」と説明していた。 このため、当時のコーチでは大矢監督いちばんの腹心でありながら、山下、権藤、斉藤よりも出番が少なかった(というより、上記の1回だけである)。 田代富雄 横浜の打撃コーチ(1997年 - 2006年)→湘南監督(2007年 - 2009年)→監督代行(2009年)→湘南監督(2010年)→楽天打撃コーチ(2012年)→巨人2軍コーチ→横浜DeNA1軍コーチ、現:横浜DeNA巡回コーチ。背番号は75(1997年・1998年)→76(1999年 - 2009年)→78(2010年)→82(2012年 - 2015年)→78(2016年)→72(2017年・2018年)→76(2019年 -) 『ベイスタ流』では2009年に大矢監督が突然無期限休養に入ったために監督代行を任され、ラーメン好きにちなんで有名ラーメン店に物事を例えながら苦悩していた。パスタは邪道らしい。
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