監督時代(1899~1932年)
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「ジョン・マグロー」の記事における「監督時代(1899~1932年)」の解説
1899年に、マグローは25歳でボルチモア・オリオールズの監督を兼任する。チーム自身は前年に主力の選手を大量に引き抜かれていたものの、リーグ4位の健闘を見せた。ニューヨーク・ジャイアンツ移籍後は、1903年に前年最下位だったチームを2位に躍進させ、1904,1905年と2年続けてリーグを制覇する。1904年リーグ制覇の際は、ワールドシリーズでのボストン・アメリカンズ(現レッドソックス)との対戦を拒否し、シリーズが開催されなかった。 ニューヨーク・ジャイアンツは、その後1911年からの3連覇、1921年からのリーグ4連覇を含め、マグロー監督時代に計10回のリーグ制覇を成し遂げる。1913年には、当時のニューヨーク・ジャイアンツとシカゴ・ホワイトソックスの選手を中心とした世界周遊チームを率い、同年12月に来日、親善試合を行った。 ジャイアンツ監督在任期間は30年に及ぶが、その間チームがAクラス(上位4位まで)になれなかったのは、1902年、1915年、1926年、1932年のわずか4回だけであった。1919年からはジャイアンツのオーナー、またゼネラルマネジャーも兼任していた(現在はオーナーが監督を行うことは禁止されている)。またマグローは、選手時代のものも合わせ、計131回の退場処分を受けている。この数は2007年にボビー・コックス(アトランタ・ブレーブス監督)が更新するまで、メジャーリーグ最多だった。
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