世界周遊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:18 UTC 版)
「W・E・B・デュボイス」の記事における「世界周遊」の解説
デュボイスは1936年にナチス・ドイツ、中国、日本など世界中を旅した。デュボイスはドイツにいる間、温もりと敬意をもって取り扱われたとしている。アメリカに戻った後、彼はナチ体制に対する自身の矛盾する見解(ambivalence[訳語疑問点])について述べた。彼はナチスがドイツ経済(英語版)を見事に立て直したことを称賛したが、ユダヤ人に対する取り扱いに恐怖し、それを「スペインの異端審問やアフリカ人奴隷貿易とのみ比較し得る文明に対する攻撃」と描写した。 1905年に日露戦争で日本が勝利した後、デュボイスは日本帝国の強大化に感銘を受けるようになり、ロシアのツァーリ制に対する日本の勝利を有色人種が白人を打ち破った一例と捉えた。日本の「Negro Propaganda Operations」の代表は1920年代と1930年代にアメリカに渡ってデュボイスと会談し、日本的の人種政策についてデュボイスにポジティブな印象を与えた。1936年、駐米日本大使はデュボイスと数名の学者のために日本旅行を取り計らった。 デュボイスはシベリア、満州国、中国経由で同年12月に来日して約2週間滞在し、大学やペンクラブでの講演も含め要人と会合した。
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