ロシアのツァーリとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ロシアのツァーリの意味・解説 

ロシアのツァーリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 01:41 UTC 版)

ツァーリ」の記事における「ロシアのツァーリ」の解説

ロシア君主一覧」も参照 モスクワでは、最初にこの称号呼ばれたのは、ヴァシーリー2世である。ハン国弱体化進んでいたことに加えて1438年 - 1439年のフェラーラ・フィレンツェ公会議にて、教会合同調印されたことがその根本にあるとされる(のちに正教会側から無効とされた)。モスクワにとっては、合同への調印により、東ローマ皇帝東ローマ教会異端陥ったと見なされた以後、特に聖職者たちが、東ローマ的な意味でのツァーリ称号モスクワ君主使用していく。このように15世紀後半からモスクワ君主たちがツァーリ呼ばれ、また自称していくにあたり、その起源大きく2つ存在していたと考えられている。 1480年モンゴルからの自立果たしたイヴァン3世は、初めツァーリ称号使用し始めた1547年からはロシア・ツァーリ国の時代となったイヴァン4世生神女就寝大聖堂において、ツァーリとして正式に戴冠行い外交文書においてもツァーリ称号用いて各国君主教皇などと外交交渉行った。ただし、この段階では「全ルーシツァーリにして大公」という形でこの称号用いられており、かつてのローマ帝国東ローマ帝国志向し帝国というより、むしろキエフ・ルーシ延長上に自らの国家位置づけていた。一方ツァーリ称号にはノヴゴロドプスコフ含まれるもののキエフガーリチ含まれなかったため、モスクワツァーリキエフ権力継承していないという説もある。この場合、モスクワ・ツァーリの継承したのはキエフではなくノヴゴロド端を発する北東ルーシ権力であったとされる1721年大北方戦争勝利して祝賀ムードが高まる中、ロマノフ朝ツァーリであったピョートル1世元老院ピョートル時代創設)から、「インペラートル(Император)」、「祖国の父」、「大帝」といった称号認められた。これは古代ローマ帝国の「インペラトル由来称号であり、インペラートル理念ルーシ世界統治志向しツァーリ称号とは異なりロシア帝国皇帝という意味合いの強いものであった上記西洋東洋ツァーリ継承したという説に基づくと、ピョートルインペラートル称号用い始めたことは、ロシアユーラシア国家枠組みからヨーロッパ国家枠組み変貌したことを意味している、と指摘されている。しかし、その後歴代インペラートルは、民衆にも馴染みの深いツァーリ称号併せて使用し続けたツァーリ称号は、1917年ロマノフ朝滅亡まで用いられた。ロシア革命退位余儀なくされ後に殺害されニコライ2世最後ツァーリであった帝政解消後も、ロシア国内外では、強大な権限有する旧ソ連およびロシア連邦政治指導者に対してツァーリ」という文学的形容用いられる場合がある。また、人物以外でも、飛び抜けて巨大な物を「ツァーリ○○○○の「王様」)」の愛称で呼ぶことがある(この場合民話での「ツァーリ」の用例にしたがって、「皇帝ではなく王様」と訳されることが多い)。著名なものは、クレムリン展示されている巨大な大砲ツァーリ・プーシュカ巨大なツァーリ・コロコルソビエト連邦開発した史上最大核爆弾ツァーリ・ボンバがある。

※この「ロシアのツァーリ」の解説は、「ツァーリ」の解説の一部です。
「ロシアのツァーリ」を含む「ツァーリ」の記事については、「ツァーリ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ロシアのツァーリ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ロシアのツァーリ」の関連用語

ロシアのツァーリのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ロシアのツァーリのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのツァーリ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS