不憫
読み方:ふびん
「不憫」とは、かわいそうや気の毒のことを意味する表現である。
しかし不憫には、「憫」の漢字の前に、接頭語の「不」がついている。「不」は、名詞や形容詞の前についてそれを打ち消す役割を持つが、「不憫」では、「不」を打消しの字として使っていないということになる。これは、本来「不憫」が「不便」の漢字で使われていたことに関係している。不憫は、もともと不便の漢字を用いて使われていた。しかし、混乱を避けるために、便の代わりに憫という漢字が使われるようになった。そして、その名残から「不」がそのまま使われているのである。したがって、不憫の漢字は当て字ということになる。
「不憫」の類義語には、不愍や、同情、憐れ、憐憫、かわいそう、気の毒、哀憐、憐情などがあり、憐みや哀しみを表現する語が挙げられる。英語では、「pitiful」や「pitiable」、「pathetic」、「wretched」といった単語が似たような意味を持つ。
不憫と同じ読み方で「不敏」がある。不敏は、才能に乏しいことや、機敏ではない様を表す言葉である。「敏」は、頭の働きや行動がすばやいという意味を持っているため、敏の前についている「不」は打消しの接頭語となる。「不憫」と「不敏」は読み方は同じだが、意味は全く異なるということだ。
「不憫でならない」とは、「不憫」と「ならない」を合わせたものである。「ならない」は、動詞の「なる」の未然形と打消しの助動詞「ない」を合わせたもので、その事柄への抑えられない気持ちを表す。したがって、「不憫でならない」は、かわいそうな気持が抑えられない様子を表す言葉である。また、「不憫」は、年下の人や立場が下の人に対して使う言葉で、目上の人に対して使うことは失礼にあたる。「不憫でならない」を使った例文としては、「戦争の犠牲となった子どもたちのことを思うと不憫でならない。」や「親を失った子どものことを考えると不憫でならない。」などが挙げられる。
「不憫だ」とは、「不憫」に、断定を表す「だ」が合わさったものである。かわいそうに思う気持ちを断定する言葉である。
「ご不憫」とは、不憫に接頭語である「ご」がついた言葉である。接頭語の「ご」は、相手への敬意を込めて使われたり、自分自身のことを謙遜する時に使ったりする。本来、不憫は目下の人や立場が下の人に対して使う言葉である。「ご不憫」という言葉は誤解や不快を招く可能性も考えられるため、使わない方がよいだろう。
・上司から嫌な仕事を押し付けられた彼のことを不憫に思う。
・彼のことを不憫な人だと思っていたが、実際話してみたらそんなことはなかった。
・見た目だけでその人のことを不憫だと思ってはいけない。
・頑張って練習していた息子の運動会が大雨で中止になった。息子のことを思うと、とても不憫だ。
・発展途上国を訪れた際に、道端で物乞いをする子どもがたくさんいて不憫に思わずにはいられなかった。
・貧乏な家の子が必ずしも不憫な子だとは限らない。
・お金持ちの家に生まれ、不自由なく育てられた彼をなぜか不憫に思ってしまう。
・国語の漢字テストで「不憫」と答えるところを間違って「不便」と答えてしまった。
・今日の国語の授業は、「不憫」と「不敏」の違いについてだった。
「不憫」とは、かわいそうや気の毒のことを意味する表現である。
「不憫」とは・「不憫」の意味
「不憫」とは、「ふびん」と読み、かわいそうや、あわれむ、気の毒といった意味を持つ言葉である。他にも、都合が悪いことや、その様を表す意味も持つ。また、かわいがるという意味も持つが、現在ではそのような意味では使われない。不憫の「憫」は、訓読みで「憫れむ(あわれむ)」と読むことができ、不憫と同じ意味を持っている。しかし不憫には、「憫」の漢字の前に、接頭語の「不」がついている。「不」は、名詞や形容詞の前についてそれを打ち消す役割を持つが、「不憫」では、「不」を打消しの字として使っていないということになる。これは、本来「不憫」が「不便」の漢字で使われていたことに関係している。不憫は、もともと不便の漢字を用いて使われていた。しかし、混乱を避けるために、便の代わりに憫という漢字が使われるようになった。そして、その名残から「不」がそのまま使われているのである。したがって、不憫の漢字は当て字ということになる。
「不憫」の類義語には、不愍や、同情、憐れ、憐憫、かわいそう、気の毒、哀憐、憐情などがあり、憐みや哀しみを表現する語が挙げられる。英語では、「pitiful」や「pitiable」、「pathetic」、「wretched」といった単語が似たような意味を持つ。
不憫と同じ読み方で「不敏」がある。不敏は、才能に乏しいことや、機敏ではない様を表す言葉である。「敏」は、頭の働きや行動がすばやいという意味を持っているため、敏の前についている「不」は打消しの接頭語となる。「不憫」と「不敏」は読み方は同じだが、意味は全く異なるということだ。
「不憫」の熟語・言い回し
不憫でならないとは
「不憫でならない」とは、「不憫」と「ならない」を合わせたものである。「ならない」は、動詞の「なる」の未然形と打消しの助動詞「ない」を合わせたもので、その事柄への抑えられない気持ちを表す。したがって、「不憫でならない」は、かわいそうな気持が抑えられない様子を表す言葉である。また、「不憫」は、年下の人や立場が下の人に対して使う言葉で、目上の人に対して使うことは失礼にあたる。「不憫でならない」を使った例文としては、「戦争の犠牲となった子どもたちのことを思うと不憫でならない。」や「親を失った子どものことを考えると不憫でならない。」などが挙げられる。
不憫だとは
「不憫だ」とは、「不憫」に、断定を表す「だ」が合わさったものである。かわいそうに思う気持ちを断定する言葉である。
ご不憫とは
「ご不憫」とは、不憫に接頭語である「ご」がついた言葉である。接頭語の「ご」は、相手への敬意を込めて使われたり、自分自身のことを謙遜する時に使ったりする。本来、不憫は目下の人や立場が下の人に対して使う言葉である。「ご不憫」という言葉は誤解や不快を招く可能性も考えられるため、使わない方がよいだろう。
「不憫」の使い方・例文
・両親を失った彼のことをとても不憫に思う。・上司から嫌な仕事を押し付けられた彼のことを不憫に思う。
・彼のことを不憫な人だと思っていたが、実際話してみたらそんなことはなかった。
・見た目だけでその人のことを不憫だと思ってはいけない。
・頑張って練習していた息子の運動会が大雨で中止になった。息子のことを思うと、とても不憫だ。
・発展途上国を訪れた際に、道端で物乞いをする子どもがたくさんいて不憫に思わずにはいられなかった。
・貧乏な家の子が必ずしも不憫な子だとは限らない。
・お金持ちの家に生まれ、不自由なく育てられた彼をなぜか不憫に思ってしまう。
・国語の漢字テストで「不憫」と答えるところを間違って「不便」と答えてしまった。
・今日の国語の授業は、「不憫」と「不敏」の違いについてだった。
ふ‐びん【不便/不×憫/不×愍】
不憫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 03:42 UTC 版)
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