東ローマ帝国
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東ローマ帝国(ひがしローマていこく)またはビザンツ帝国[注 1]、ビザンティン帝国、ギリシア帝国、ギリシャ帝国は、東西に分割統治されて以降のローマ帝国の東側の領域、国家である。ローマ帝国の東西分担統治は3世紀以降断続的に存在したが、一般的には西暦395年以降の東の皇帝の統治領域を指す[注 2]。皇帝府は主としてコンスタンティノープル(コンスタンティノポリス)[注 3]に置かれた[注 4]。
- 1 東ローマ帝国とは
- 2 東ローマ帝国の概要
東ローマ
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ローマ帝国を継承した東ローマ帝国においては、軍の主力は重装騎兵(カタフラクトス)となったが、重装歩兵部隊も引き続き編成された。各歩兵はスクタという楯を所持して戦列を形成し、スクタトスと呼ばれた。スクタ楯は古代ローマ以来の楕円形の楯であるが、11世紀末までに次第に廃れ、代わって10世紀頃から下半部が尖って長く延びた西洋凧型の楯が用いられるようになった。兜は鉄製で、胴部にはラメラーアーマーか鎖帷子あるいはキルティングの防具を用い、武装はおもに長槍を装備した。
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