オムルタグ
オムルタグ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/03 14:58 UTC 版)
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オムルタグ Омуртаг |
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ハーン | |
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在位 | 814年 - 831年 |
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死去 | 831年 |
子女 | エンラヴォタ ズヴィニツァ マラミル |
王家 | クルム家 |
王朝 | 第一次ブルガリア帝国 |
父親 | クルム |
オムルタグ(ブルガリア語: Омуртаг、? - 831年)は、第一次ブルガリア帝国のハーン(在位:814年 - 831年)。先代クルムの息子。東ローマ帝国と講和を結ぶとともに、統治体制の整備を進めた。
生涯
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父クルムの急死にともなって、814年にハーン位についた。東ローマ帝国と講和を結ぶと、防壁を建設するなど国土防衛を進めた。国家の安全が図られると、行政区であるコミタトの設置など統治体制の整備を進めていった。
東ローマ帝国への警戒上キリスト教を禁止したため、キリスト教に帰依した長男のエンラヴォタにハーン位を継承させなかった。
スラヴ人とブルガール人の融合にも努め、自らの息子にもスラヴ風の名をつけた。
脚注
参考文献
関連項目
- 第一次ブルガリア帝国
- ハーン
- スラヴ人トマス(トマスの乱)
- 815年の条約
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