カリマン2世とは? わかりやすく解説

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カリマン2世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/02 02:52 UTC 版)

カリマン2世
Коломан ІІ Асен
ツァール
在位 1256年
死去 1256年
配偶者 アンナ(エルジェーベト)・ロスチスラヴナ
王家 アセン家
王朝 第二次ブルガリア帝国
父親 セヴァストクラトル・アレクサンデル
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カリマン2世ブルガリア語: Коломан ІІ Асен、? - 1256年[1])は、第二次ブルガリア帝国皇帝ツァール、在位:1256年)。ブルガリア皇帝イヴァン・アセン2世の弟であるセヴァストクラトル・アレクサンデルの子。母親については不明である。

生涯

1256年にミハイル・アセンタルノヴォ近郊での狩猟中に暗殺された後、彼が帝位を継いだ。即位にあたって、カリマンはミハイル・アセンの未亡人であるロスチスラフ・ミハイロヴィチの娘(アンナまたはエルジェーベトといわれる)と結婚するが、帝位を保持することはできなかった。ロスチスラフが領地のベオグラードからタルノヴォに進軍したため、カリマンはタルノヴォを放棄して逃亡した。ロスチスラフは娘を領地に連れ戻し、ミハイル・アセンの義兄弟にあたるミツォ・アセンを皇帝として擁立する。一方、カリマンは多くの支持者を失い、即位と同年の1256年に殺害された。

脚注

  1. ^ Andreev, Jordan; Milcho Lalkov (1996) (Bulgarian). The Bulgarian Khans and Tsars. Veliko Tarnovo: Abagar. ISBN 954-427-216-X. 、208頁

参考文献

  • John V.A. Fine, Jr., The Late Medieval Balkans, Ann Arbor, 1987.
先代:
ミハイル・アセン
ブルガリア皇帝
1256年
次代:
コンスタンティン・ティフ



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